鵺文庫通信

samui nemutai onakasuita

「いつも怒ってるよね」_20210928

「いつも怒ってるよね」

冗談半分、本音半分の言葉でそう言われることが昔から多かった。「いつも怒ってるよね」は時に「怒りっぽいよね」だったし「また言ってる」「言うと思った」、酷いときは「発狂してる」「ヒス起こしてら」だった。相手は決まって半笑いで、こっちが「その言い方はなくない?」と突っ込んだら「冗談じゃん」と逃げるか、大人です、みたいな顔で謝罪するのがオチだろうな~……と容易く想像がつく軽薄さで言う。

明らかにわたしを馬鹿にする目的でかけられる言葉に傷つく"親切"で脆弱な魂は持ち合わせていないので「うるせえわ」で聞き流してきたのだけれど、厄介なのは仲の良い友人や、尊敬している方たちからも同様の言葉をかけられることだった。

「もう少し寛容になろう」「そんなのは、相手にしなきゃいいんだよ」と「心配」で紡いでくれる言葉は、他の悪意ある言葉と同様に聞き流して捨てるわけにはいかない「やさしさ」だったし、そんなときは決まって「まあ、怒ってるのは事実だしな」と自分を納得させていた。「心配して言ってくれてるんだよな、悪気はないんだろうな」と反射的に相手をフォローしていた。

でも、長年積み重なった「いつも怒ってるよね」というフレーズは――「もう少し軽く考えようよ」「無視していいんだよ」という言葉たちは、少しずつわたしの心に降り積もって、悲しみになっていった。はっきりいうと、辛かった。許せないわたしが悪いのだと責められているようで。真面目に考えているわたしがおかしいのだと窘められているようで。傷つけられるのは「当然」なのだと、我慢を強いられているようでしんどかった。だってわたしだって、別に怒りたくなどないのだから。

 

やさしいひと

昔から「やさしいひと」に憧れていた。いつもニコニコしていて、人を傷つけるような言葉を口にせず、どんなときも穏やかに振る舞う人を尊敬していたし、今も憧れている。相手のことを一番に考えて、誠意をもって接するのを当然のように出来るひとたちを――そしてそれを、別に「あなたのためだよ」とばかりに押し付けがましくしない、あくまで自分の人格と性格のなかであるかのように"やれる"人を本当に素敵だと思っている。

わたしは今までの人生の中で、たくさんの失敗をしてきたし、知識がなかったせいで、考えが足りなかったせいで多くの人を傷つけて来たと自覚している。それは、謝っても許されないし、謝ることは贖罪になり得ないただの自己満足だから、しない。でも、傷つけて来た人間の責務として、絶対に次は傷つけないようにと自分をアップデートし続けてはいる。それでもまた人を傷つけて、嫌になるときもあるけれど、相手の傷と、自分の凶器を「なかったことにしない」というのは、ただ「ごめんなさい」と反省することではないのだ。どうしたら傷つけなかったのか、何が自分に足りなかったのかを考えて、足りなかったものを勉強し、「自己」を修正していくことだから。

わたしは、自分が「やさしくない人間」だと知っている。

だから、どうすればやさしくなれるのかを考えているし、やさしく"在る"ということはどういうことなのかを、勉強している。

わたしが「やさしいひと」と思う人たちも、もしかしたらわたしが知らないだけで、そういう「やさしさのための努力」をしているのかもしれない。けれど、わたしは「やさしいひと」たちに、わたしが持ちたかった・欲しかったやさしさを見ることが多々ある。こんなふうに穏やかになれたら。優しく、包み込むような言葉を綴れたらと思う。他人に対して、もっと自然に「受け入れる」という行動が出来たら、と思う。

でも、わたしにはわたしの目指す「やさしさ」があって、憧れるやさしさを持っている人たちとはまた、少し方向性が違うというのも自覚している。それを悲しく、悔しく思う時もあるけれど、自分には自分の役割と進む道があると思いながら、試行と思考を重ね、後退を繰り返しながらも、少しずつ進んでいる。

 

やさしいと、やさしくない

わたしはやさしくなりたい。でも、やさしいひとには生まれられなかった。それは親のせいでも他人のせいでもなく、自分のせいだ。やさしく生まれることはできなかったのだ。だから、やさしくなろうとし続けなきゃならない。でも、どこかでわたしの思う「やさしさ」は厳しさでもあるのだと自覚している。そして、わたしが思う「やさしさ」のスタイルが、誰かにとって「やさしくない」ことも。

「いつも怒ってるよね」はそれに対する抗議なのだ、と気づいたのは最近だった。「いつも怒ってるよね」に、わたしは日増しに「否定されている」という苦しみを感じていたのだけれど、それもそのはず「いつも怒ってるよね」とわたしに声を掛ける人は、多分怒ってたんだろうな。

どうして黙っていてくれないのか。黙っていてくれたら、口うるさく感じないし不愉快にもならないのに。わたしも苦しくないし、嫌な思いをしないし、あなただって怒るのは疲れるでしょう? なのに、なんでなの、という怒りなんだと思う。

その「怒り」の大きさは人それぞれだし、もちろんそれだけだと断ずるつもりはない。わたしへの思いやりや、心配もあっただろう。でも、大小はあれど、「煩わしい」という怒りだったんだろうな、と今は思っている。「みんな我慢してるんだよ。できるんだよ。それが大人じゃないの?」という、わたしの「子どもっぽさ」への糾弾もあったかもしれない。でも、わたしはそれを「子どもっぽさ」とは呼ばないし、傷つく側に「我慢」を強いるのを――そうやって「飲み込んでしまう」人を「大人」と言う言葉で片付けたくもない。

わたしは、嫌なことは嫌だと言いたい。おかしいことは、おかしくないか? と投げかけたい。悲しいことも苦しいことも、喜びや愛おしさ、面白さと同様に言語化したいのだ。言語化するのは、理解してもらいたいし、理解したいからだし、コミュニケーションをとりたいからだ。わたしは、自分の想ったこと・考えていることが必ずしも「ただしい」とは思っていない。でも、ただしさに近づく努力はしたい。そうしたときに、ただ自分の中で考えていても、わたしは自分の愚かさや足りなさに気づけないのだ。噛み砕いて考えて、吟味して理解して、いろんなひとや書籍で様々な考えを見聞きして、自分の意見を研磨していく。思考の切り口を、角度を、視野を、広げていく。そうやって「やさしく」なりたいのだ。

わたしは、他人に「やさしく」なるのは勿論、わたしにも「やさしく」ありたい。

自分のことも他人のことも大切にしたい。どちらかに「我慢」を強いるのではなくて、どちらも尊重したいのだ。綺麗ごとだと言われようが、希望論だと言われようが構わない。わたしは諦めない。

 

常識のない喫茶店/著:僕のマリ

先日、本屋lighthouseさんで買った「常識のない喫茶店(著:僕のマリ)」※敬称略が凄く良かった。女性向けの下着会社を退職し「常識は無いけれど、良識はある」(本文P114)茶店で働く僕のマリさんの自伝的エッセイ集。「やさしいひと」たちが働く喫茶店と、その喫茶店に訪れる様々なお客さんのエピソードがたくさん詰まっている素敵な本だった。

lighthouse24.thebase.in

僕のマリさんの喫茶店は、失礼な人・マナーが悪い人には遠慮なく注意をするし、出禁にもする。注意されて、逃げるように店から出ていく格好悪い「最悪な客」には、追いかけて行って文句を言う時もある。挨拶をしたくないようなお客さんには挨拶をしないし、過度な「サービス」を求める客にも取り合わない。

その店が好きで通い続けたいと思うのならば、お客さんだって「いい客」であろうとすべきではないのか。あくまで人間同士なのだ。

――「常識のない喫茶店」P12より引用

「常識のない喫茶店」を読んでいて、「怒り」について考えた。「戦う」ことについても。この本にある通り、僕のマリさんの働く喫茶店を、常識から逸脱した喫茶店と嫌う人も居るかもしれない。批判する人もいるかもしれない。でも、そう言った人は来なくてよろしい、と爽やかに言い切る僕のマリさんや喫茶店のかたがたを、わたしは「いいな」と思った。

戦うことも、サービスをすることも、お茶を飲むことも全部、すべての行為に優劣がないからだ。当然の権利として「双方」に存在しているから、気持ち良く感じる。お客さんの要望に(あえて嫌な言い方をするが)奴隷のように従う必要はないし、お客さんも好きな店に入って好きなものを頼む権利がある。それに優劣はない。

「常識は無いけれど、良識はある」って良い言葉だと思った。わたしも、常識的なひとでなくていい。でも、良識はある人になりたい。僕のマリさんの喫茶店で働く「やさしく思いやりがある店員さんたち」と同じように。

 

「怒り」

怒るのは疲れる。別に楽しいことじゃない。戦うのだって、戦わなくて良いのなら、戦いたくない。言葉を尽くすのも、感情を吐露するのも、たしかにわたしは「うまい」けど、だからと言って容易いわけじゃない。でも、言わなきゃいけないことがあるし、許せないものに「許せない」と言わなければ、簡単に蹂躙されるのだ。そうやって「戦わなくて良い」未来を勝ち取るためには、理不尽や差別、この世に蔓延る「最悪」とバトルしなきゃいけないんじゃないだろうか。黙って受け入れるのを、わたしはやさしさだとは思わない。

勿論、戦う元気がない時だってある。言葉にするのが苦手な人も、ぶつけられた悪意にしんどくなって、動けない人だっているだろう。そういう人に「立てよ!」なんていわない。でも、そうじゃないのなら、「ふざけんな」って言う人が居なかったら、どうやって自分や他人を守るんだ。

平気なふりして、自分を押し殺して、そうやって怒りを「なかったこと」にするのが賢い選択なんだろうか。黙って涼しい顔して、戦ってる人間を「戦ってる~」って笑うのが頭のいいスタンスなんだろうか。わたしはそうは、思わない。

この世の中は狂っている。悔しいがそれが事実だ。でも、だからなんだ。何の主張もせず、狂った奴らの言いなりになって働くのか。

間違っていることを間違っていると言えない弱さは、のちに自分を苦しめることとなる。どんな相手でも対等であること、嫌な気持ちに素直になること。そういう当たり前のことをやっと思い出せたから、「常識のない」人たちを出禁にすることができた。店にだって、お客さんを選ぶ権利はある。罵倒されても、言い返されても、わたしたちは黙らない。

――「常識のない喫茶店」P115より引用

大学時代、映画を作ってる時に死ぬほど同期と揉めて、言葉の大乱闘スマッシュブラザーズが連日起き、相手も自分もヤバいくらいボロボロになった時期があった。面白おかしくいってるけど、最悪自殺して放映とめたろかと思ったこともあったし、殴り合いになるかと思った時もある。刺されるな、と感じた時もある。いま五体満足でリングフィットアドベンチャーをやれてるのが不思議なくらいだった。

その時、脚本の先生に「藤波はひとに嫌われるのが怖くないんだよな。それがすごい。俺は全員に愛されたいし、全員に好かれたいよ」と言われたことがある。

先生に言われてはじめて、自分が嫌われるのを怖がっていないことに気が付いた。たしかに、と思った。好きな人に嫌われるのは怖い。好きじゃない人にだって「あんたのこと大嫌い」と言われたら、ムカつくし、傷つくけど、でも、実を言うと「まあしょうがないかな」と思えてしまうのだ。わたしは。

だって、嫌われるのより、嫌いになるほうがずっと怖い。わたしはがっかりされるより、がっかりするほうが怖いんだと思う。「怒る」という事で嫌われるリスクよりも「怒らない」ことで相手を嫌いになったり、他人を諦めるほうがずっと恐ろしい。だからわたしは、怒る。諦めたくないから。

あと。まだ冷笑して高みの見物を決め込めるほど、現実逃避できないのだ。

 

「戦わなくていいよ」

そんなの、相手にしなくっていいんだよ、という言葉を掛けられることもある。

心配でいってるのかもしれない。良かれと思って言ってるのかもしれない。でも、「相手にしなくていいよ」は「なんでそんなのを相手にしちゃうかな」という相手への否定だし「戦わなくていいよ」という砂掛けにもなり得るんじゃないだろうか。

わたしは「臭いものに蓋をする」ように、 嫌なことをされても「そんなの相手にしなきゃいい」と受け取る側にばかり都合のいい"良識"や"優しさ"を求めるのはどうかと思う。あなたは誰の味方なのだろう。受け取る側ではなく、攻撃している側にとって「都合のいい」やさしさを何故、傷ついた側に求めるのだろうか。それって、あなたも傷付ける側に回っていないだろうか。

その人に「戦わない」選択を"選ばせた"として、その人が傷を透明化したところで、傷は消えない。殴り続ける人は殴り続ける。「戦わなくていいよ」は「戦うな」という静止だ。でも、戦わないと、その人はボコボコにされる。

あなたは痛くないかもしれない。賢い選択をアドバイスしたと思うかもしれないし、あなたの考える「大人」になる方法を教えてあげたと思うかもしれない。でもその人の状況は少しも変わらない。あなたはただ、傷ついた人に「傷を隠したほうが良いですよ」と砂を掛けただけなのだ。あなたの傷を見たくないと、突き放してるだけなのだ。

その人が戦っているのは、戦わなきゃ踏みつけにされるから。抵抗するのは、これ以上攻撃されたくないからだと気づけないのだとしたら、それは想像力の欠如なんじゃないだろうか。

戦わなくていいよ   相手にしなきゃいいじゃんって言えるのは、守る覚悟があるひとか、一緒に戦う意志がある人だけが口にしていい言葉だ。

「まともに相手をすると疲れるだろうから、適度に休んで」と声をかけるのは「戦略」のアドバイスだと思う。攻撃してくる人間は大抵、攻撃される側の気持ちなど考えない。でも、「攻撃される側」はいつだって、攻撃してくる人間の気持ちや思想と向き合うはめになる。だから、とてつもなく疲れるのだ。そうして、心を削っている同志に「少し休みましょう、あなたの味方です」と声を掛けるのはやさしさだ。

わたしが批判しているのは、自分は安全なところにいるくせに、必死に戦ってるひとに「そんなのを相手にしているあなたがわるい」とばかりに、今まさに魂を削ってるひとへ、アドバイスに見せかけた石投げをする類いの人間のことです。わたしはあなたがたを心底軽蔑します。

 

「いつも怒ってるよね」「いつも怒ってます」

いつも怒ってるよね、に傷つくのを辞める。そう言って、わたしを黙らせようとする人たちに屈しないし、マジで良かれと思っていってくれていた人がいるならば、言われた側はこう思う、のひとつの例としてわたしの言葉を受け取ってくれたらうれしい。それから、わたしにそういう言葉を投げかけるのは辞めてもらいたい。本当に純粋な心配なのであれば、きっともっと相応しいフレーズが存在するはずだ。

ここまでいろいろ書いたけれど、わたしの思う・考える「やさしさ」やフェアさを他人に強要するつもりはない。だって答えがない物だから。でも、「答えがない」からこそ、いろんなひとの「やさしさ」を見つめる瞳が必要なんだと思うし、それを受け入れるのもまた、自分の「やさしさ」を追求するひとつの手段なんだと思う。わたしもそうやって「やさしさ」をこれからも模索していく。

 

「いつも怒ってるよね」にこれからは、こう返します。

「ええ、いつも怒ってます」。怒らなくても良い明日のために。

誰も見放さない「セックスエデュケーション」の描く"個人"_210919

おひさしぶりですの方も、はじめましての方もこんにちは。藤波透子です!

お前はいつ夏の課題図書を更新するんだよと思われているかもしれないのですが、見事難航しているので許してください(許すな)。

今回は一昨日9/17に「第3シーズン」が配信された、Netflixオリジナルドラマ「セックスエデュケーション(SEX EDUCATION)」についての記事を書きたいと思います。

www.netflix.com

はじめに

ついでに個人的な動画配信サービスの好み・契約してるサイトなどについても話していますが、特に回し者ではないです。配信サイトから1円もお金は貰っていないので、個人の感想だと思って読んでいただければと思います~。いやくれるなら貰うが。

というか、配信サイトのあらすじ雑すぎてたまに気になるので、各動画配信サービス会社はあらすじやテキストの仕事をわたしに回してほしい。待ってます。

 

個人的な動画配信サービスの所感

「Netflx」「Amazonプライム」「U-NEXT」「hulu」「FOD(フジテレビオンデマンド)」「dアニメストアなど、動画配信サービスは飽和状態にありますよね。いつでもどこでも、映画館に行かずとも、どんな時にでも手軽に「観られる」時代。TSUTAYAなどで借りて見ている人もだいぶ減って来てしまったんじゃないかなあと思っています。いまやワンクリックや借りられちゃうし、なんなら定額料金を払えばだいたいの作品は見放題だし、外で見るよりコスパいいじゃん! ってなってしまう。

元映画業界(半分今も)に居た人間として、やっぱり作品は映画館で見たいタイプなのですが、現在も日本、そして世界を脅かしている感染症の状況、そして致し方のないこととはいえ映画チケットの値上げ、映画館の減少、日々の時間の「無さ」などを加味すると、いつでも寝られる状態を維持したまま作品を自宅で観られるという動画配信サービスの便利さはど~しても手離せない。映画館に行く体力がない、行こうと思ってたけれど上映が終わってしまってた、などは結構あるあるなんじゃないかな~と思っています。

 

わたしは「ドラマ」も「映画」も「アニメ」も大好きなので、NetflixAmazonプライム、hulu、FOD、dアニメストアに加入しています。一時期はこれに加えてU-NEXTとかバンダイチャンネルとかも入ってたんですけど、出費があまりにもヤバすぎるので絞りました……。いろいろ渡り歩いた結果NetflixAmazonプライム・FOD・dアニメストアに入ってれば事足りることに気づきました(それでも多いよ)。

朝ドラ、国内ドラマ、海外ドラマ、映画、アニメ……だいたいこの4つに入ってれば多分見られます。U-NEXTも好きだったんですけど、わたしの好みの作品を観ようとすると課金が多くなってしまって微妙でした。

旧作を借りるならアマプラがいいし、古いドラマはFODでまとめて見られるし、U-NEXTで1話ずつ課金するの,、わたしの財布には痛くて……。月額2000円だし(ポイントもらえますけども)。

 

U-NEXTでドラマ借りるなら、TSUTAYAで円盤借りたほうが良いな~って感じだったので、他にアニメ見られる配信サービス入ってる人は入らなくていいんじゃないかなと思っています(※個人の感想)AV観る人にはお勧めです。U-NEXTはAVが充実しています。素人モノもあるよ。

 

逆に、いろんな作品をまんべんなく見たいし、特に旧作アニメとかも見たいなってひとはU-NEXT一個入ってるだけで結構満足できると思います。わたしは上記のようにいろんなサイトに入ってるので、わざわざU-NEXT入る必要ないなと思って退会中です。また面白そうな配信があったら入ったり、お金持ちになったら入りたいと思います。

ロマンポルノとかピンク映画とかみたいならhuluかな。huluはちょっと変わった映画とかアンダ~グラウンド~(死語)な感じのが割と揃ってるので、たまに見ると面白いです。なので入ったり抜けたりしています。B級ホラーとか多い気がする。

全部所感だし、わたしが見ている作品がたまたま各サイトで配信されてないから文句言ってるだけかもしれないので、各々「好きな作品 スペース 配信サイト」で検索して良き動画ライフをお送りください。

 

動画配信サービスのオリジナルドラマ

さきほど取り上げた配信サービス以外にも、本当にたくさんのサービスが溢れています。じゃあ何で登録サイトを絞ればいいのかというと、観たい作品がアニメなのか、ドラマなのか、映画なのか……ってところなんですけど、わたしは更に「オリジナル作品が面白いか」を結構重視しています。その点、Netflixが最強なんですよね~。

 

今回取り上げる「セックスエデュケーション(SEX EDUCATION)」の他にも、Netflixオリジナル作品・独占作品ほんっとうに面白いです。

 

王道SFドラマ「ストレンジャーシングス 未知の世界」や、ティーンの複雑な心情を描く「このサイテーな世界の終わり」「セブン」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」でおなじみのデヴィッド・フィンチャーが監督している、史実に基づいたマインドハンター、「現代版赤毛のアン」である「アンという名の少女」(いつか記事書きます)――わたしはまだ観ていないけれど、一世を風靡した「全裸監督」など、ジャンルに飛んだエンタメが豊富に揃っているんですよね。

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"エンタメ"でありながら、小劇場で上映されるような一種の「文学寄り」というか(こういう表現自体は稚拙なんですけど、伝わりやすさのためにあえて使っています)、万人受けではないけれど映像含めカッコイイ・新しいことをやろうという意識が強いように感じています。

 

性格が悪いので、hulu含め、オリジナル作品を観る時は結構構えてしまうんですが(どうせ無難で退屈なんだろうな、と斜に構えてしまう)、Netflixは気軽に観られる。

まあ勿論ハズレというか、「まあまあだけど、"まあまあ"を越えてこないな……」という作品は存在するんですけど。

余談)わたしが個人的に「面白くはないな」と思った作品(辛口です):「アンブレラアカデミー」(第1シーズンしか見ていないが、ビジュアルはカッコイイのに自己紹介で第1シーズンが終了するので観る気を失くす)、「モキシ―~私たちのムーブメント~」(悪くはないしカメラワークも安定していてオシャレなカットが多い/美術も凝ってて素敵なのだが、いまいちステレオタイプな、深く突っ込まないフェミニズム映画って感じになっている。入門としてはいいのかもしれない)「宇宙を駆けるよだか」(漫画も好きじゃなかったから普通に映像でも微妙だった。不愉快な気持ちになる)「終末のワルキューレ」(パワーポイントか?というくらいカットの切り替わりが酷い。シナリオが単調なので"アクション"でみせないとアニメ向きにはならないのに作画・予算が足りてない感じが凄い)「好きだった君へ」(1作目しかみてないけど主人公が何も考えて無さすぎる。何処を好きになったのか分からない)「バキ」(作画どうにかしてくれ)「DEVILMAN」(ひどい)「悪魔城ドラキュラ」(作画凄いのにセリフ回しがギャグ。でも観ちゃう。なんで?)//ここまで。こうみると結構外してるな……。

 

Netflix31日間無料、990円~なので(画質をあげたい、誰かと共有したい人はもう少し上のプランを選んだほうが良いです)まずはおためし入会して、何となく自分に合うかどうか試してみるのが良いかも。繰り返しますけど回し者ではありません……。

小文字で何作品かの悪口もとい感想を書いたんですけど、もう少しあらすじや煽り文、タイトルなどに力を入れてほしいなという気持ちがあります。

 

マジで邦題だけなのかもしれないけどタイトルがダサい。サムネが良くてもタイトルがダサいと見る気がしないし、結構本編とかけ離れた煽り文やネタバレが過ぎるあらすじなどが表示されているのがすごく気になります。ここらへんは作品の良し悪しではない部分なので、改善してほしいな~と常々考えています。

わたしはネタバレ全然平気なタイプなのでいいんですけど、世の中の大半はネタバレNGだと思うので、もう少し慎重に書いていただきたい。あと絶妙なミスリードもある。例えばセックスエデュケーションの「オーティス」に関して「童貞に悩んでいる」ってあらすじにかくのはわたしはそぐわないと思う。彼が悩んでいるのは「童貞であること」ではなく、「(彼の思う)性に関して普通になれないこと」「欲望や快感に従おうとすると悪いことのように感じてしまう」ことで、童貞であることではない。「童貞であることに悩んでいる/彼はセックスできるのか!?」という煽り文だと、セックスしたいけどできないモテない人の話だとミスリードするので、もう少し丁寧にかいてほしいなと個人的には思っている。

 

……と、いろいろ脱線してしまったんですが、いい加減本題に入ります。

基本的には「ネタバレなし」で紹介していきますが、本編の煽り文・あらすじ・キャラクター情報などは書いていくので、本当にまっさらな気持ちで観たいという方はそのままNetflixにおすすみください~。

 

以下、不要な敬語を削って語ります(え?)

 

SEX EDUCATION(セックスエデュケーション)

あらすじ

セックスセラピストの母親を持つ主人公・オーティスは、母の影響で性に纏わる知識だけ豊富な高校生。同級生らと同様に、自分も皆が言う"健全な"少年として自慰行為にチャレンジするのだが、どうしても射精出来ないという悩みを抱えている。だが、「性」に関して悩んでいるのはオーティスだけではなかった。とある一件で、思いがけず知り合った同級生・メイヴに「学校でセックスセラピーをしないか」と持ち掛けられるオーティス。「出来れば教室の隅っこで、居るのかいないのか分からない存在で居たい」オーティスは、果たしてクラスメイトを相手に、セラピーを成功させられるのだろうか? そして、自分自身の悩みを解決できるのだろうか――?

 

究極の「キャラクターもの」

セックスエデュケーションは性の知識が豊富だけれど内気な少年「オーティス」と一匹狼で人に頼らずなんでも自分で進む、頭がキレる少女「メイヴ」を中心に話を展開しているものの、基本的には「群像劇」であり、キャラクターものだとわたしは感じている。

 

個性豊かなキャラクター

本編に出て来るすべての個性豊かなキャラクターがみな、自分たちのストーリーを持っていて、さまざまな家庭環境のなかで過ごしている。各々がそれぞれ悩んでいて、不安を抱えながら、自分のこころとからだを持て余して生きている。そのすべての「背景」をセックスエデュケーションは絶対に見捨てない。

 

学校ではいじめっ子のキャラクターが、実は物凄い劣等感と不安を抱えていて、行き場のない怒りを発散することでしか自己表現できないすがただとか(もちろん「哀れみ」の視点ではないし、繊細な部分を描いて「許しましょう」と誘導しているわけでもない)、普段は人当たりが良く、やさしくて穏やかだけれど、親には素直になれず当たってしまうキャラクターだとか、そういう「個人」の多面性を諦めずに描き切ってくれる。善悪で簡単にキャラをジャッジして切り捨てない、「グレー」の部分のグラデーションを繊細に描いてくれるのだ。

 

主人公、準主役、サブキャラ、モブ……関係ない。すべてのキャラが「自分たちの物語」をもっていて、そのなかで懸命に生きている。多種多様な考えと価値観の中で、学校というコミュニティで揺れ動いている様を、役者・監督・脚本・撮影・録音・編集・制作……すべてのスタッフが本当にまっすぐ向き合っているから引き込まれるし、同時に辛くもなる。あまりにも物語の中を生きる彼らの造形(キャラクター)がリアルすぎて、かつて(あるいは現在も)自分たちが生きていた「学校」というコミュニティでの息苦しさと、日常でありながらもぐるぐると状況が変わっていく非日常さが迫ってくるようだからだ。

学校に存在する感情の「渦」の中で苦しむひともいれば、「渦」に巻き込まれる人を笑っている人も居るし、そもそも「渦」を認識していない人も居る。それを、本当に全部描いているのだ。

それが本当に、凄い。安易な言葉だけど、「すごい」に尽きるのだ。すごい。

 

マイノリティもマジョリティも「透明」にしない

近年多様な人種をキャスティングするのは当たり前になりつつあると思うけれど、セクシャリティに関しては「同性愛」「異性愛」の二分でとどまっている作品が多いと思う。けれど、セックスエデュケーションは異性愛の子、同性愛の子の他にも、両性愛者、アセクシャルの子、クエスチョニング(クィア)の子も出てくる。そして、その子たちにしっかりフォーカスしてくれるから、信用できるのだ。

記号としての「多様性」「属性」で消費するのではなく、生きている人間が抱えているその人の「もの」として描いている。だから、不愉快にならない。

余談だが、第3シーズンにはノンバイナリーの子も出て来て、ジェンダーニュートラルな代名詞「They」が使用されていてのも個人的に嬉しかった。そういう広がりつつある表現を作品が取り入れて、更に浸透させるのは表現の役割であるとも考えている。日本にはまだ性別を限定しない代名詞が生まれておらず、わたしは自作小説「四雲天国妖詩篇」で「こなた(※一人称、二人称、三人称にもなる代名詞。「話題のひと」という意味を差す)」を使っている。TheyやHen、Ielなどと同じように、性別を定めない代名詞が日本でも生まれてほしいなと思っている。

 

身体性を生かすことで「こころ」を描く役者たち

キャラクターがここまで「人間」として存在しているドラマはなかなかないと思う。役者の演技の本気さ・力強さが半端じゃない。わたしは常々「こころもからだ」だと思っていて、「こころ」と「からだ」は繋がっていると考えているのだけれど、彼らはからだを使ってこころを演じている(表現している)。圧倒されてしまう。

特に第1シーズンの「エリック」、第2シーズンの「アダム」、第3シーズンの「ルビー」「グロフ」は凄かった。あんまり作品を観て「泣いた」って言い方はしたくないんだけど、堪えられなかった。

 

もちろん、演技だけではなく、画づくりも抜群に上手いし、音楽・美術・シナリオ全部ひっくるめてすべての要素が「セックスエデュケーション」の絶妙な"赤裸々"を表現しているのだけれど、役者の演技が抜群であるというのは、セックスエデュケーションの紛れもない「良さ」なので推したい。

 

多面的な「人間」

人間は多面的なのだ。完璧な「善人」もいないし、完全な「悪人」も存在しない、とわたしは思っている。セックスエデュケーションに出て来るキャラクターは誰もが「素敵なところ」を持っているし、同時に「ズルいところ」「嫌な部分」「暴力的な面」「繊細な箇所」を持っている。

普段は仲良しでも、朝両親と喧嘩したから、つい友達の話を適当に聞いてしまって喧嘩したり。いつもは苦手な人だけど、悲しそうだったら「どうしたの」と声をかけたり。恋愛するのが好きだったけれど、酷いフラれ方をして、しばらくそういうのはいいや、と離れたり。明るくオープンで前向きな人だけれど、家族の話になると寡黙になったり。人は「こういうひとなのだ」という箱に必ずしも収まらない。

わたしが見えている「その人」が、その人の認識する「自分」と違うのは勿論、生活や心境、環境でその人の感情は揺れ動く。さざ波みたいな変化が互いにぶつかることで「出来事」が生まれる。

ぶつかりは、大きなことでなくたっていい。たまたま実習で一緒になって共通点が見えたとか、雨が降ったから普段はバス登校じゃない子と会って意外な一面を見たとか、そういう些細な波。もしかしたら何事もなく終わるかもしれない「波」の連鎖反応によって、セックスエデュケーションは成り立っている。感情の伝染と、相乗効果で物語が成り立っているのだ。

 

キャラクターを良い意味で「キャラクター」の箱に入れない

セックスエデュケーションはキャラクターを箱に収めない。1つの面をすべてにしない。失敗したり、誰かを深く傷つけてしまったとしても、大成功して人気者になっても、その人の「いま」はそこで止まらない。過去から繋がって未来に至るまでの1ポイントにすぎない。出会いがあれば別れがあるし、失敗したらどう責任を取って償うか、前に進むのか、向き合うのかをちゃんと描いてくれる。

 

わたしたちの人生もそうだ。最悪なことをやらかしてしまっても、明日は来るしお腹はすく。やり直せたら楽だけど、そんなファンタジー、SFのなかにしか存在しない。わたしたちは現実で生きていかなきゃならない。それは苦しくて辛いことだけど、同時に「変化」という可能性を掴むチャンスで在り続ける。この「チャンス」は別に、立ち向かって輝かしい未来を手にするという意味だけじゃない。

失敗を力に変えて、挑戦するのはすさまじいパワーで、勇気ある行動だ。でも、諦めるのだって簡単じゃない。諦めて、落ち込んで、そうやって自分のしたことを見つめるのだって変化を得るチャンスに含まれる。断念するのは放棄じゃない。

セックスエデュケーションは誰も見放さない。どんな人種の子も、どんな性的指向の子も、どんな性自認の子も、障害を持っていたり、そのひとがどんな性格をしていても、放り出したりしない。全員の「多面」を描いてくれるのだ。

 

各シーズンの印象

ここからは各シーズンの印象を紹介していく。

微々たるネタバレがあります

 

第1シーズン

あらすじで紹介した通り、メイヴと始めたセックスセラピーを主軸に物語が進んでいく。青少年特有のそれぞれの性の悩みと向き合いながら、オーティスら含め、自分の「からだ」をそれぞれのキャラクターたちが受け入れていく物語になっている。

「こころ」も「からだ」も不安が尽きないティーンの「からだの悩み」を解消していくようで、実質「こころ」も癒していく話になっている。親友のエリックとしか交友がないオーティスと、誰とも交わらないメイヴの、ふたりの孤独の共有にもなっていて、謀らずしてセックスセラピーがオーティスとメイヴのセラピーにもなっているのがにくい。

前半はポップにすすんでいくのだが、後半、特に7話と8話は忘れられない名シーンのオンパレードになる。必見。

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第1シーズンの予告ダサいな。

 

第2シーズン

良くも悪くも第1シーズンで築き上げて来たすべての関係が一度更地になるようなシーズン。第1シーズンで取り上げられたキャラに迫り、繊細な心の動きをひたすらに追っていくようなお話ばかり。誰も彼も煮え切らず、やきもきすることが多いし、ツラくなる展開が多いのだが、各々が「自分」と向き合わざるを得ないストーリーに仕上がっている。自分を一番わかっているのは「自分」だなんて思いこみなのだということが、痛々しいくらいに伝わってくるシナリオになっていて、第1シーズンを真昼のような爽やかであたたかなパワーに満ちたシーズンと表現するのなら、夜明け前、黎明のようなものを感じさせるシリーズになっている。

※注意(シナリオ展開に接触するのですが、一部の人にはつらい表現かもしれないので書いておきます)

第2シーズンでは性加害が取り上げられるシーンがあり、視覚的に過激な表現はないものの、人によってはフラッシュバックを起こす可能性があります。性加害を受け、心に深い傷を追っている方にはしんどい描写かもしれませんので、特に第2シーズンの後半はお気をつけて視聴してください。ただ、シナリオを面白おかしくする/消費・盛り上がりなどのための表現ではなく、「加害」とどう向き合っていくか、受けた人の味方になり、どう行動すべきか、性加害にどれだけの人が苦しめられているか、というのを、真剣に第3シーズンにかけて描いています。けっして軽はずみな表現ではありません。男性女性問わず、いろんな方に第2シーズンを見て頂き、「性加害」について考えてほしいと思っています。

youtu.be

第2シーズンの予告もちょっとダサいな。なんで?

 

1つ文句を言うなら、第2シーズンのラストの引きはひどすぎる(シナリオとしての稚拙さではなく、露骨な「引き」があざとすぎて嫌という意味で)ので、もう少しちゃんとまとめてほしかったという気持ちがある。あの時は既に第3シリーズが決まっていただからこういう終わりにしたんだろうけど、不完全燃焼が凄くてムカっときた。これは第3シーズンにも言える。

8話でまとめるのが滅茶苦茶難しいのも、次のシーズンを意識した「引き」なのも分かるんだけど、「シーズン」と決め打ちで発表するならば、ある程度そのなかでの1個のくぎりをつけてほしい。週刊少年漫画じゃないんだから、短期間で更新されるコンテンツではないのだし、「終わり」がうつくしいほうが、より次のシーズンを観たい気持ちにさせるのでは? ※個人の意見です

 

第3シーズン

第1シーズン・第2シーズンで成長してきたすべての登場人物にフォーカスしたシーズンに仕上がっていた。ここまでくるとオーティスとメイヴという主人公から離れ、出て来たすべての主要人物が全員「主人公」として描かれる、群像劇の側面が強調されているように感じた。第1シーズンが真昼第2シーズンが夜明けなら、第3シリーズは真夜中。親密で、ひそやかで、誰かの感触・存在を感じないと何処にも行けないような、孤独で少しワクワクする、切ないシナリオになっている。

永遠に続くようなうつくしい夜も、永久には続かない。けど、刹那のくらやみだから愛しく思える、というようなエピソードが多く、第1シリーズ、第2シリーズからするとそれぞれが見えて来た「自分」を大切にしようとする描写が多く、嬉しくなる半面、それゆえに分かたれる展開もあってしんどかった。しんどかったけど、良かった……。

第1、第2にも言えることだけど、第3シーズンでも、本当に感情の揺れやブレみたいなものをとことん突き詰めて、ずるさや弱さを馬鹿にせず、けれども都合よく許さずに描くからにくい。にくいよ……。こんなの好きに決まってんじゃん……。

youtu.be

あとこれだけ言わせて。ガソリンスタンド? のシーンのカラーリングとカメラワーク天才すぎる。

youtu.be

以上がシーズンごとの印象です。

何が言いたいか分かりますね。見てくださいってことです。

www.netflix.com

 

おわりに

タイムラインマジで誰も見てない。わたしだけずっと騒いでるので悲しい。絶対後悔しないからみてください。でも名前の通り、セックスの描写が割と多いので、15歳以上の閲覧をお勧めします(Netflixにも書いてた)。

 

もし性描写が苦手な方は、Netflixには10秒スキップと倍速があるので、さらっと飛ばしてもいいかもしれないです。

 

ただ、セックスの描写も「セックスエデュケーション」には必要なシナリオになっています。安易で不必要な、いわゆる「エロ」としての視覚的な消費ではなくて、他のシーンと同じように必要な"シナリオ"としてセックス表現が描かれているので、わたしも元々そこまで得意じゃないのですが、セックスエデュケーションは嫌な思いをせず観られました。

 

異性愛だけでなくすべてのセクシャリティのセックスをちゃんと描いてくれるし、第3シーズンでは障がい者とのセックスについても繊細に描いていて、「こころ」を描くのと同じように、「からだ」も丁寧に描いてくれるんです。キャラクター含め、誰かひとつ、なにかひとつを贔屓しない表現になっているので、どうかその点だけで忌避しないでほしいな、と個人的には思っています。

 

お願いします。見てください! シルバーウィーク半分すぎちゃったけど!

 

「からだを知る」って、「こころを知る」ってことだし、「からだを大事にする」って「こころを大事にする」ってことなんだよね、ってセックスエデュケーションを見るたびに思います。成熟した人間なんて存在しないけど、熟考することはできるから。

そうやって、1人1人と向き合っていきたいと思わせるシリーズです。人数ではなくて、その1人が「誰なのか」なんだと思う。

 

第4シーズンも楽しみにしてます怒

夏の課題図書①「自由研究には向かない殺人」_210831

はじめましての方も、お久しぶりですの方もこんにちは! 藤波透子です。

九月になって一気に涼しくなり、夏嫌いのわたしはやっと終わってくれたか……と安心しています。いや、先週そう思っていたらまた暑くなって死んだんですけど。今度こそ終わりであってほしいよ……。

わたしは冬信者なので、秋が特別好きなわけではないのですが、本当に暑さに弱いので、とにかく夏には帰って頂きたいと思っています。概念としての夏は嫌いじゃないんですけど……。暑さは人を殺すので……。

八月はとにかく暑くて体調を崩す&プロジェクトのストレスで無気力になっていたので、なんとか盛り返していきたいところ。毎月ストレスで死んでいる報告をしている気がするんですが、しょうがないね。しょうがなくはないが(どっち?)

執筆も頑張りたいんですが、たくさん本や小説を読みたいな~と思って、先日こんな投稿をしました。

さっき夏は終わったっていってたのに矛盾してない? というツッコミはやめてください。夏休みの課題図書って意味です。

課題図書なので、読み終わった段階でゆるい書評というか、批評……まではいかなくとも好き嫌い、解釈なんかをやんわり書いていけたらなと思っています。まあ、要は感想です(どっち?)タイトルについている日付は、メモ代わりとして、読み終えた日にしておきます。

 

さっそく「自由研究には向かない殺人 著:ホリー・ジャクソン」を先日読み終えたので、書いていきたいと思います。

 

自由研究には向かない殺人/ホリー・ジャクソン

www.tsogen.co.jp

まず本編に全く関係のないところなんですけど、東京創元社の本ってめくってすぐにタイトルとあらすじが記されているデザインなのすごく良いですよね。個人的にジャケット買いよりも、しらない作家の本を買う時はあらすじ買いをするタイプなので、わかりやすいところに、端的にまとめられたあらすじがあると非常に助かります。

 

以下、あらすじに記載されている範囲でのネタバレが含まれております。

なんの情報も入れずに読みたい方は、今すぐ本屋さんへ足を伸ばしてみてください。またはAmazonや公式サイト、hontoなどで電子書籍でも購入できるので、ポチッてください。

結論から言うと、「めっちゃ面白かったです」

 

自由研究には不向きな事件

リトル・キルトンに住むグラマー・スクールの学生、ピッパ・フィッツ=アモービ――通称"ピップ"は自由研究で得られる資格「EPQ*1」の題材として、五年前に起きた少女失踪事件の再調査を選んだ。メディアと警察は、この一件を少女の交際相手で会った少年による犯行と見て、捜査を打ち切っている。少女は依然見つかっていないというのに、どうして調査は打ち切られたのか。それは、犯人と見られる少年が自殺してしまっているからである。

少年は少女を殺害し、罪悪感から自らも命を絶ったのだ――それが周りの言い分だった。

ピッパは、この街に今も尚住み続けている"人殺し"として迫害されている家族、シン家を訪ねる。半分だけ開いたドアから顔を出した男の子は、今はもう亡き少年と瓜二つの容姿をしていた。何をしに来たのかと問いかける彼に、ピッパはこう答える。

「わたし、あなたのお兄さんがやったとは思っていないから。それを証明しようと思うの」

冒頭、『ピッパ(ピップ)の題材が学校の承認を得た書類』を模したデザインページが差し込まれている。そこに、このテーマが非常に繊細であり、人を傷つける可能性があるものだという教師からの指摘と、だからこそ慎重に調査をすること、被害者・加害者家族とは連絡を取らないようにという約束文が記されていて、ピップはそれに署名している。けれども、上記ストーリーから分かる通り、ピップはその約束を初手で破り、加害者とされている少年の家へ訪ねる。

このシーンだけで、主人公のピップが非常に好奇心が旺盛なキャラクターで、自分の知的探求心に素直な子であるのがわかる。と同時に、少し不安になった。先生の指摘は最もで、五年経った今でも、シン家のひとびとは人殺しの家族として迫害され、少年の死を大っぴらに悼めないほどに虐げられている描写が差し込まれているからだ。

リトル・キルトンはおおよそ、少し田舎に位置する場所なのだろう。そういったちょっとした閉鎖された地区で、おなじ学校に通っている少年少女の間で起きた事件が、どういった影響を及ぼすか、地方住みだったわたしには想像に難くなく、陰惨な気持ちになった。

ピップの好奇心は所謂"墓荒らし"のような「暴力」になってしまうのでは? というのがわたしの懸念だった。

けれども彼女の「わたし、あなたのお兄さんがやったとは思っていないから。それを証明しようと思うの」という力強い台詞と、"加害者の弟"としか見られてこなかったのであろう彼への態度を見て、すぐに不安は消失した。ピップは好奇心旺盛で、行動力があり、快活でありながら、人の痛みを理解しようとする子で、その雑じり気のない"まっすぐさ"は物語のラストまでブレない。

「自由研究には向かない殺人」は奇をてらった展開や、想像できないほどのどんでん返しは無い(とわたしは認識している)。が、ピップと共に、丁寧にひとつひとつの情報を洗い直し、偏見や主観にとらわれず、混乱や行き詰まりを感じてもめげずに、隠された真実を探していく道筋は格別で、読者を彼女と共に自由研究を進めている気持ちにさせる。遥か昔に取り組んでいた夏休みの宿題を思い出し、懐かしくなった。……勿論わたしの研究は、ピップのそれとは比べ物にならないほど小規模だったが。

とにかく、ピップが聡明で公平で、かつ明るい女の子であるのに救われる。失踪事件の糾明は、当時の記憶の掘り返しという、永遠に治らないけれども無理やりにつくったかさぶたを剥がす作業が伴う。程度は違えど、誰にとっても苦く憂鬱で哀しい出来事だけに、読んでいて気分が落ち込んでもおかしくないし、実際気が滅入りそうになるタイミングはあるのだが、それでも真相に辿り着き、すべてを明らかにするのだというピッパの意志と、事件に傷ついたひとびとへの思いやりは、次のページへ進む勇気をくれる。

「推理もの」はどこかで「断罪もの」になってしまう危険性を孕んでいるとわたしは思っている。勿論、それに振り切っている作品を悪いとは思わないし、犯罪は明らかになるべきであるという倫理は持っている。けれども、所謂"サイコキラーもの"でないかぎり、犯罪のうしろには「傷ついた人」が居るパターンがほとんどだ。正しさは正しさで良い。けれどもその「正しい」で心までもを断罪できるのか、という問いはいつも感じている。そうせざるを得ないほどに追い詰められた人間の「加害」を肯定することと、「心」を否定しないことはイコールではない。わたしは加害に加担しないし、どんな理由があっても誰かを傷つける権利はないと考えているけれど、心を踏みつけにし、人格から目を背けたくはないのだ。

「推理もの」は、犯人を見つけ、アリバイを破壊し、言い分を砕き、真実を掴む。すべてを白日の下に晒す。一連のシナリオで得られる「完璧に見える犯行が崩れ、謎が解き明かされる爽快感」を求めているひとが多いと思う。わたしもそのひとりだけれど、ただ「分からない」が「分かる」になるだけだと、弱いとも思うのだ。コメディや所謂バディものだったり、さくさく次の事件に移る作品であればそこまで気にならないけれど、ただの断罪で終わってほしくない、言いようのない複雑な気持ちを抱きたい、みたいなところがある。これはわたしの趣味趣向なので、誰に強要するものでもないのだが、そういった点で「自由研究には向かない殺人」はわたしに合っていた。

ピップは真実を求める。けれども、その「真実」で他人を蹂躙しない。彼女は探偵ではなく、ひとりの学生で、しかもこれは「自由研究」なのだ。そのラインを、作者もピップも踏み越えない。人によってはそれでいいのかと思う人もいるかもしれないが、わたしは彼女らしい選択だなと納得したし、納得できるだけの情報が、きちんと本編に記されている。

印刷(挿絵など)構成的にもすごくよくできた作品であると推したい。東京創元社の本はいつも凝っているけれど、本作は特に物語を最も面白く魅せるデザインの工夫がすさまじかった。メッセージのやりとりの画面を、実際の携帯画面のようにして挿絵として挟んだり、地図を差し込んだりと、読者が混乱せず、かつピップの「自由研究の資料」に見えるように工夫している点が良い。小説部分・インタビュー部分(文字起こし)・作業記録(レポート)などを交えた本作にマッチングしていたと思う。

絶賛の嵐、という感じになってしまったのだけれど、不満点もある。以下、重要なネタバレになる恐れがあるので、ネタバレが嫌いな方は読まずに居て欲しい。ダーッとスクロールすると総評に移るけれど、簡単なまとめと購入サイトが記されているだけなので、Google「自由研究には向かない殺人」で検索して、購入ページへ行ってほしい。この記事は閉じてもらってOKです。読んでくださり、ありがとう!

 

 

この「自由研究には向かない殺人」を買ったのは、タイトルが素敵だったからだ。

購入した旨をツイッターで投稿したときも「素敵なタイトルだね」と友達に声を掛けられた。きっと他の購入者も、タイトルとあらすじに惹かれて買った人が多いんじゃないだろうか。

でも、読み終えた今、このタイトルに違和感がある。どうして「殺人」と言い切ってしまうのだろう?

原題を調べたら「A Good Girl's Guide to Murder」とあったので、邦題にする際もそのまま「殺人」と訳したのだと思うのだけれど、だったら元の作品にも不満がある。どうして殺人と言い切ってしまうんだ……。

物語の結末をみれば、実際に「殺人」が起きているわけだから、殺人で正しい。けれどもこれは「行方不明事件」「失踪事件」であり、死んでいるのは自殺した少年サルのみ。この情報でタイトルの「殺人」が出てしまうと、そのどちらかが「殺された」と確定してしまう気がしてもったいないと思った。

たしかに「殺人」のほうがインパクトがあって目を引くけれど、「自由研究には向かない事件」じゃダメだったんだろうかと思う。それは作者のタイトル含め。

徹頭徹尾ピップは「本当に自殺なのか」「本当に失踪じゃないのか、死んでしまってるのか」を追い続けているし、誰が殺されていて、誰が殺されていないのかという狭間を、疑いながら真相を探る物語でもあるので、断言されてしまうと先が読めてしまうのが残念だった。

失踪した少女・アンディが恋人・サルに「殺された」と周りは思っているから「殺人」でいいだろうという言い分もあると思うし、こんな些細なところを気にしているのはわたしだけかもしれないが、ピップはこの「事件」をサルによる殺人とは見ていないのだから「殺人」とするのがどうなのだろうという気持ちがある。これはサルを殺人鬼と決めつけている外側の人間が付けたタイトルなのだといわれれば、納得できるけれど、それを抜きにしたってサルが「殺されたのかも」と此処で示唆されてしまうのは本作にとってはマイナスだとわたしは考える。

まあでもタイトルめっちゃいいんだけどね!! すごく好きなんですけど!

でも納得はいかない。わたしは主人公と一緒に謎解きをするタイプの読者なので、少しでも「謎解きの」ネタバレっぽい要素は削ってほしいのだった。

あとこれは完全に好みなんですが、あくまでラヴィ(シンの弟)とは相棒で居て欲しかった気持ちもあるので、恋愛かよ、と思ってしまった。いやいいんだけど。相棒であり、恋人である、でもいいんだけど……! これはわたしの恋愛嫌いが出ているかもしれない。あんまりよくない感情であることは自覚しつつ、最後問題解決と共にカップルになりました! みたいなのをやられると……いやこれ全部発表が終わった後に告白っぽいのが挟まれるくらいじゃダメだったのか!? と思ってしまう。いやそれもくさい演出か……。

本編に差し込まれている気の置けない友人のような、ふざけた「上司と部下」みたいなやり取りがたまらなく好きだったので、恋愛関係になってもこういう雰囲気が消えないでいてほしいなと思う。魂と信頼で繋がっているふたり、を恋愛が入ってもやってほしい。いや、恋愛がはいると魂が揺らぐとは全然思ってないんだけど、変にべたべたされてもキャラブレな感じがするので、ラブコメのほうにはいかないでほしい……という気持ちがあり……これはわたしの完全な好みなんだけど。好みです(断言)

なんにせよ、続編に期待。必ず買います。

 

↑ ネタバレ此処まで ↑

 

「自由研究には向かない殺人」 総評:★★★★☆

☆5つ中、☆4つ!(果たして何が基準なのか、と言われると前例がないのであれなのだけれど、個人的好みと思ってください)

先ほど「推理ものとしては別に意外な展開はない」とはいったものの、それはわたしが偏屈&謎解きしながら読むタイプだからというのが大きくて、伏線回収も謎の入り組み方も丁寧だったので、推理部分も勿論楽しめます。とにかくピップが可愛くて賢くて素敵なので、そちらが目立ってしまうものの、謎自体が薄味なわけではないことを改めて書いておきます。

続編が既に続々と出ているそうなので、引き続き東京創元社さんにはガンガン出していただきたく思ってます! よろしくお願いします!(素振り)(英語が読めない人)

あと個人的にNetflixとかでドラマ化してほしいです。ストレンジャーシングスとかセックスエデュケーション系のティーンドラマとしてすごく売れそう。

 

久しぶりに読んだミステリーが「自由研究には向かない殺人」で本当に良かったです。

まだ読んでいない方は是非。電子書籍もありますので、いかがでしょうか。

個人的にはページのデザインが素敵なので、紙媒体で読んでほしくはあるのですが、試し読みもあるようなので、お好きな方でどうぞ。リンク貼っておきます。

www.tsogen.co.jp

www.amazon.co.jp

Amazonアカウント持ってない人少ないと思ったから貼ったけど、個人的にはポイントも溜まりやすいしヨドバシ.comでの購入がおすすめです。はやいしね。

 

それでは、また夏の課題図書②でお会いしましょう。

他におススメの本などあれば気軽に以下から教えてください~。

odaibako.net

 

※上記記事はすべて藤波の独断と偏見・趣味趣向による文章です。無断転載・引用・まとめへの無断使用などはおやめください。

*1:Extended Project Qualificationの略称。自由研究で得られる資格で、高校卒業の資格を得るAレベルの試験と並行して、独自に行う自由研究のこと。題材は好きなものを選んで良い。

第一回・藤波の「このお題がスゴい!(下)」_210820

はじめましての方も、こんばんはの方もこんにちは。藤波透子です!

先日 "第一回・藤波の「このお題がスゴい!(中)」_210818"を投稿させていただきました。

chilly.hatenablog.jp

 中編は

を紹介させていただきました。

栗城さん、madoriさん、月白さん、逢坂さん、ありがとうございました~!

 

中編では「回文お題」「視覚的お題」についてなど、ビジュアルにも特化したお題たちを紹介させていただきました。

上編では「そもそもお題ってなに?」という部分も紹介しているので、もし「お題ってなんだろう……」という方は、(上)から読んでいただけたら嬉しいです。上・中・下何処から読んでも楽しめる内容にはしているつもりですが、「お題ってなんなんだ……」っていうのが何となくつかめていないと読みづらいかな……? とも思うので……!

 

では、早速最終編・(下)編のお題屋さんたちを紹介させていただきます。

 

藤波の「このお題がスゴい!(下)」

今回の 藤波の「このお題がスゴい!(下)」では

の四天王ならぬ、お題屋五天王のお題を紹介していきたいと思います!

東西南北を守るのが四天王なら、お題屋は東西南北空を司ってるので……。

 

 

 にこごり/地球は丸く、わたしは巡る

お題屋五天王の東ことNORZさん。何故東なのか……エデンは東に、つまり楽園は東にあるというでしょう? NORZさんのお題は我々が追放された楽園にある、ひとの手では届かない"おかしみ*1"なんです。

そんなNORZさんの経営する、言葉式エデンことにこごり

stbn.web.fc2.com

 NORZさんのお題はとにかくボリューミー。百貨店のように、かゆい所まで手が届く……でも人の手には触れられない一風変わったお題たちが待ってるんです。

なかなかすきなお題を決められないのですが、強いていうのならば「地球は丸く、わたしは巡る」

stbn.web.fc2.com

此方、NORZさんが2020年に1日1つずつ作り上げた毎日お題。(嬉しさで)気の遠くなるような数だと思うんですが、その1つ1つが面白くて、至高なんですよ。まず月ごとにタイトルが付けられているんですが……。

 

▽行こう行こうと囃す1月
▽にやりにやりと逃げるは2月
▽さよならさんかく探す3月
▽酔生夢死としゃれこむ4月
▽急げ急げと息衝く5月
▽ろくでなしにも雨降る6月
▽敵も味方も君だ7月
▽どこもかしこもだめな8月
▽苦し紛れに食い合う9月
▽呪詛は重々承知の10月
▽割れた鏡に棲む11月
▽そして眠りにつく12月

もうこの時点で「どんなお題たちなんだろう……?」と引き付けられますよね。楽しいがギュッと詰まっている。プレゼントボックスを1個1個開けていく感覚で楽しめるお題たちなんです。

 

そのなかでも、年終わりの12月が、ラストに相応しき疾走感で好きです。

1201 鳥頭たちの夕べ
1202 痛いとわかっていることをする
1203 瘡蓋剥がして奥の奥まで
1204 あの店で丼ものを買ってはいけない
1205 ここには嵐を閉じ込めてある
1206 曇りっぱなしの眼
1207 山茶花に棲む
1208 全能足りえぬ眠り姫
1209 一息ごと新たに曇る
1210 私の呼びかけに応えない私
1211 架空でも本物
1212 こっちが本物
1213 金曜日でもないのに
1214 洗濯機までの遥かなる旅
1215 薄れても消えない
1216 蛹になれないわたしたち
1217 自分の体なのに名前がわからない
1218 まだ少しだけ信じているよ
1219 お前には冬眠の才能がある
1220 鈍でも替えがないので
1221 たましいを1ダース
1222 どれも似たような絶望
1223 息をしてすら漣がたつ
1224 なにかの前日になどしないで
1225 捕獲作戦またも失敗
1226 すこしパワーがある世界
1227 浴室で歌ってもいい歌
1228 鞘がないので
1229 柔らかい布活躍譚
1230 厳正なる半分こ
1231 二度と目覚めぬつもりで眠る

―― そして眠りにつく12月より

あまりに語りたい内容がたくさんあるので幾つかに絞ってじっくり……と思ったんですが、NORZさんのお題はいっぱいのお題に様々な可能性があるところ、チャーミングさが素敵なので、ひとつひとつを取り上げ、ちょこっとずつ解読していきます。といっても、ほとんど感想&あくまでわたしの解釈です。

  1. 鳥頭たちの夕べ → わすれっぽいひとたち(いつのまにか12月になってたひとたち)の黄昏時。夕方は何かを振り返る時間だから「思い出したとき」なのかも
  2. 痛いとわかっていることをする → わかっていても回避できない、したくないこと
  3. 瘡蓋剥がして奥の奥まで → 2で受けた傷の中で、また新たに血を流す
  4. あの店で丼ものを買ってはいけない → 薄味なんだろうか? かわいい
  5. ここには嵐を閉じ込めてある → 簡単に触れられない激情を心にしまい込んで、わらって隠しているひとが浮かびました。
  6. 曇りっぱなしの眼 → 嵐を閉じ込めることで内側で止まないどしゃ降りで前が見えない
  7. 山茶花に棲む → 「あなたは私の愛を退ける」の意の山茶花。嵐の内側に居る子の、拒絶の心。
  8. 全能足りえぬ眠り姫 → 嵐を自分で処理できない、激情に疲れ眠る姫。かみさまになれない。
  9. 一息ごと新たに曇る → 6にも出て来た「曇り」日が進めば進むほど嵐は激しさを増していく
  10. 私の呼びかけに応えない私 → 自分の中にいる客観の自分の冷静な言葉に耳を貸さない私。
  11. 架空でも本物 → 架空のうつわで誤魔化している私
  12. こっちが本物 → けれどもそのうつわの中に居るのが本物の私
  13. 金曜日でもないのに → 花金と呼ばれることから、予想外の良いこと
  14. 洗濯機までの遥かなる旅 → お風呂に行きたくない子のわがまま
  15. 薄れても消えない → 入浴中、お湯に溶けていくようでほどけない想い
  16. 蛹になれないわたしたち → 脱皮どころか幼い姿から膜になることすらできない
  17. 自分の体なのに名前がわからない → ↑に繋がり、幼虫でも成虫でもないからだ
  18. まだ少しだけ信じているよ → それでもいつかのさなぎを夢見る。なれると信じる。
  19. お前には冬眠の才能がある → さなぎになれる才能があなたにはあるよ
  20. 鈍でも替えがないので → 切れが悪い刃だけどただひとつの自己
  21. たましいを1ダース → 12月と掛けて、12カ月のたましいがあったよという意味?
  22. どれも似たような絶望 → 感じている絶望の根っこはどれもおなじ「わたし」
  23. 息をしてすら漣がたつ → 吸うだけで震える胸のこと
  24. なにかの前日になどしないで → いつだって当日の新鮮でありたい
  25. 捕獲作戦またも失敗 → かわいい。飼っているペット相手なのか、自分の想いなのか
  26. すこしパワーがある世界 → これすっごく好きです。こういう「すこし」のパワーをわたしたちはいつも世界から受信してる気がする
  27. 浴室で歌ってもいい歌 → 個人的に冒頭がお風呂までの道に思えたので、浴室に帰って来た! と盛り上がりました。歌っていいやわらかい歌と癒しを感じる。
  28. 鞘がないので → おさめられない抜き身のこころ「鈍でも替えがないので」の対でありセットな感じがして好きです。
  29. 柔らかい布活躍譚 → 蛹になれないわたしたち、と繋がって、さなぎになる「膜」を連想しました。「柔らかい布」
  30. 厳正なる半分こ → 「幼さ」と「大人」の和解。どっちも半分こで永遠に持ち続けようよというやさしさと、そこから逃げないというただしさを感じました。
  31. 二度と目覚めぬつもりで眠る → やっと蛹になれたわたしたち(子供の自分と大人の自分)、一緒に眠り続けようという意味に思えました。冬眠の才能が生かされたラスト。

 

見て頂ければ分かる通り、繋がっているようで繋がっていないような、けれどもすべてまとまっている、そんな不思議でかわいいお題たちですよね。

 

NORZさんのお題はとにかくセットで小説に使うのがおススメです。無限にお話が浮かんでくるし、バラバラのようで根っこが一緒だから、シリーズもののタイトルに使うと物凄くまとまりが生まれる。わたし自身、NORZさんのお題をたくさんお借りして、長編を書かせていただいたことがあります。

 

「にこごり」にあるお題たちは、とにかく種類が豊富。上記12カ月お題の他にも、100題セットや独自のテーマお題がたくさんあります。そしてそのどれもがセット。

 

NORZさんは、日常のささいな瞬間や「自分にもこういう気持ちのときあるな……」という共感できる言葉を「お題」にするのが本当に上手い。

大事な大事な目玉焼き

これとか、

コミックエッセイみたいな日

 

秀逸じゃないですか!?

綺麗に焼けた目玉焼きの、黄味をぜったいに潰したくないあさのこと。まるでコミックエッセイのように、まとまりがよくて面白かった書き記したくなる日のこと。そういう一瞬を、NORZさんは見逃さない。見逃さずに、たった数文字の「お題」で表現してくれるんです。

 

わたしは常々、日々生きる中で大切なのは「たまごが入っている買い物袋を床に置くときの繊細さ」だと思ってるんですけど、その「そっと」の具合がNORZさんは絶妙というか……乱暴すぎないけれど、決して腫物にさわるようなそれではない、体温に馴染むやさしさをもつお題なんですよね。好きです。

 

NORZさんは「あいうえお題」*2も制作されています。

さ 三段論法が私の武器
よ 予想は外れた予感は当たった
な 眺めていれば来ると思って
ら 来週、来月、来年、来世
よ 呼びかけかたを何度変えても
り 理由なき抱擁・落涙
も 森へ行くなら気をつけて
と 通り雨専用の店先
お 鬼が出て蛇が出て君が残った
く 鎖編みしかできない花屋
で 出入口付近での愛の告白はご遠慮ください

―― さよならよりも遠くで

さよならよりも遠くであなたを待っています|にこごり

NORZさんの持つ持ち味と相まって、ひとつの長編をなぞっているようなお題たちに仕上がっていて素敵。「出入口付近での愛の告白はご遠慮ください」思わずクスリと笑ってしまう反面ここまでの道中のお題を眺めた後だと、ハッピーエンドを匂わせる言葉にほっとしてしまう。

 

NORZさんのセットお題には起承転結があるんですよね。それはNORZさんが小説を書かれる方だから、というのもあるのかもしれないんですが(お題屋は本当に物書きが多い……!)

stbn.web.fc2.com

NORZさんは一次創作も素敵なので是非。わたしは中学生の頃から通っています……笑

 

最近はツイッターで「スヤスヤ百貨店」という月お題連載をされています。そちらも是非。

さて、NORZさん繋がりで……あいうえお題の筆頭と言えば……?

 

as far as I know/お前なら傷つけていい

お題屋五天王の「天」を司る一等星・悧子さんの経営する「as far as I know」

http://m45.o.oo7.jp/

まずサイト名から天才なんですよね。意味は「わたしのしるかぎりでは」。

サイト名の由来をどうしても知りたくて、こっそり匿名で質問を投げたわたしです。

なんて素敵なんだろう……としみじみ思ってしまいました。今はこだわりが薄れた、とおっしゃっていましたが、確かに悧子さんが使っていらっしゃる言葉はすべて、悧子さんの内側にある言語という感じがして、変に堅苦しくもなく、必要のない装飾は削ぎ落された、洗練された言葉だなあとしみじみ思っていたので、なるほどなと思いました。

 

実は先ほどNORZさんの創作サイトに中学校のときから通っている話をしたんですが、悧子さんのことを知ったのは一次創作サイトがきっかけでした。

わたしはとにかく悧子さんの小説が大好きで……特に「鬼百合と揚羽蝶」という短編小説が一等好きで、今でも数ヵ月に一回読んでいるくらいです。とにかく悧子さんの生み出す物語が好きで、そこからお題を追うようになり、現在に至ります……。わたしの自己紹介になってしまった。

昔は(今もですが)どうやったらこんなに美しいおはなし・そして物語のある言葉(お題)を生み出せるのか知りたくて、悧子さんのブクログ(本棚)の本を片っ端から読むなどしていました。今思うと普通に己の「好き」への探求心に引いてしまうんですが、それだけ悧子さんの言葉には影響を受けています……。

 

悧子さんと言えばあいうえお題。サイト内の多くのお題が、あいうえお題なのですが、創ってみると分かるんです……あいうえお題が物凄く難しいということに。決まった頭文字で、かつ最初に決めたテーマお題に沿ったものを作り出さなきゃいけない。たった1回なら上手くいくかもしれないけど、それを悧子さんのように幾度も幾度も繰り返すなんて、まずできない。その語彙力の豊かさと端正な文章センスにうっとりとしてしまいます。

 

わたしが一番好きなのは、「お前なら傷つけていい」

幼ごころの溶け残り
また今度のための記念日
炎色のない焔がもえる
泣いて明かした夜のまぼろし
楽園幻想がわだかまる場所
きらいな色ばかりがふえる
ずっとまえに訊いたきり
爪痕に救われることもある
煙ごしにちらついた翳
適温のわからない熱をぶつけて
異形の憧憬を戀とごまかす
癒されたくて愛したんじゃない

―― お前なら傷つけていい(12のお題)より

お前なら傷つけていい|afaik

 

まず「お前なら傷つけていい」なんて、浮かびますか?

お前なら傷つけていい。こんな愛の言葉あるのか、と呆然としてしまう。お前なら傷つけていい……もう最初からクライマックスだし、魂がぼろぼろになってしまう。こんなうつくしいほのおのようなフレーズ、誰にも生み出せない。悧子さんにしか不可能だと思います。

 

悧子さんのお題の凄いところは、この容赦のない美しいフレーズの頭文字が、さらなる美しさを生むところなんですよ。セットお題ってどうしても、その中で「特に良いな」ってお題が目立ってしまう時があるんですけど、悧子さんはそれが全然ない。最初に悧子さんが「あいうえお」の役目を与えた「お前なら傷つけていい」、その熱量のまますべての12題が存在しているんですよね。どれを取っても、最初に放たれた炎を維持したまま、形を変え色を変え、温度や表情までもを変え、ただ業火として存在し続ける。そういう気高さのある言葉。本当にまいってしまう。

 

上編で、alkalismのマオさんのお題を取り上げた時に、

girl.fem.jp

何か言葉を付け足して喋るのがすべて蛇足のように感じる。それだけ、マオさんのお題は完成されていて、他者の入る隙間がない。あいだがないのに、物語は浮かぶのだからさらに難解すぎて手に負えない。

という話をしたと思うんですが、悧子さんのお題にも強くそれを感じます。悧子さんがあいうえお題の主題として取り上げたフレーズがすべての説明になってるんですよね。

だから、わざわざわたしがひとつひとつを取り上げて、解読する必要を感じない。むしろその行為がお題を損なってしまうんじゃないかとさえ思ってしまう……。

 

お題屋五天王のなかで、悧子さんは「天」を司るという話をしたんですが、それは悧子さんのお題の神秘的・かつ美麗さが、星座に纏わる神話や歴史・物語のようだから、というのがあります。わたしは星座それぞれが持っている独自のおはなしが好きなんですけど、悧子さんのお題に含まれている物語は星のような密やかな巡礼に満ちているように思うんです。

 

また、悧子さん=星座のお題、という印象もあります。

黄道十二宮シリーズ(themes for astrologers)は悧子さんのサイトをご存知の方にはおなじみのシリーズなのではないでしょうか。黄道十二宮を追いながら綴られるお題はどれも宝石のようなひかりを放っていて、とっておきのお菓子の蓋をあけたときみたいなときめきに満ちています。

わたしは双子座なので、どうしても双児宮に心揺れてしまうのですが、そのなかでも最も好きなのは

世界なんかと一緒に救わないでくれ

本当に丁寧に隠している感情の膜をいっぺんにはがされて、心臓ごとにぎりつぶされる心地がします。鋭利な水晶の刃を、ほんのわずかな心の隙間に差し入れて、ぱりぱりと割られていくみたい。切実な「好き」のなかで息が出来なくなってしまう。

 

ほかにも、更新をリアルタイムで見守っていたアポリナリスのうみや、L'Oiseau bleuも愛してやまないお題セットなのですが(悧子さんの企画ものお題は本当に素敵なんですよ……)一生語ってしまうので、この辺にしておこうと思います。

 

悧子さんはお題・小説のほかにも短歌も創っていて、まさに言葉の魔術師だなあと思っています。是非ツイッターのほうも覗いてみてください。

 

is/あなたが星だといった衛星

お題屋五天王・担当の「is」管理人・こうさん

現在こうさんはサイト整理のためサイトを消されているのですが、「is」の言葉たちはツイッターで見られます。2021年のものは #is_2021  #is_2020  #is_2018 ... といった具合に、「#is_」を冒頭に付けた後、みたいに年をいれれば、歴代のお題が見られます。

皆さんは「北」にどういう印象がありますか? 北極、北海、北欧、北海道……豊かで満ち足りている、磨き上げられた美しい場所。北極も北海も多くの資源の眠る黄金の地とされているし、まさに、尽きることのない言葉の財宝を内側に持っている、ゴージャスで理知的なこうさんのイメージにぴったりだなと思っています。

個人的にこうさんが夏嫌いなのも知っているし、こうさんのお題の多くが、薄らぐことのない、魅惑の香水のような冬の匂いがするのを知っているからかもしれない。

 

こうさんのお題で好きなものに「あなたが星だといった衛星」を挙げました。でも、実を言うと、こうさんのお題はツイッターで見かけた時の「瞬間」の引力が魅力的なんですよね。勿論サイトで読んでいる時も好きですし、いつ見かけても素敵だなと思う言葉ではあるんですが、ツイッターで、リアルタイムに流れて来た時に、ぎゅっと袖をつかまれて世界に引きずり込まれる感じがあるんですよ。

 

ツイッターっていうコンテンツは(色んな使い方をしているひとびとがいるけれど)基本的にはリアルタイムに「感情」や「その時の行動」をラフに呟く場所ですよね。他人のツイートも自分のものも、良い意味でも悪い意味でも煩雑に混ざり合う所というか……。だから、流れてくる文字がダイレクトに心に刺さりやすい。

ゆえにレスバとか所謂「クソリプ」なんかが飛び交う戦場になるときがあるなとも思うんですけど……(笑)それはおいておいて。

 

その媒体の特性をこうさんは物凄く上手く使いこなしていると思っていて(上からじゃないです、スミマセン)、ツイッターのタイムラインを眺めている時に、スッ……っとこうさんの言葉が流れてくると、ダイレクトにこう……お題が響く(っていうと安っぽいですね)。お題が自分とマッチングするみたいな感覚になる。

 

こうさんの言葉は、だれしもの人生にある「瞬間」の切り取りというか、その時の切実な想いや感覚を絶妙に抜き出してくれるお題で、しかもその痛みやつめたさ、あたたかさや幸福が「過去」のものではなく、今目の前にあるものとして迫ってくる。感じていた時の自分に立ち返れるお題なんですよ。

 

「思い出」や「過去」、もう瘡蓋を通り越して完治してしまった傷を、その時を振り返るのではなく「立ち返る」お題。

似てるけれど、振り返るとは違う。振り返る、は今いる場所から後ろを見て見つめる行為で「立ち返る」は戻るんですよ。折り返す行為。こうさんのお題は、立ち返る、お題。

いつかのわたしたちが持っていた残酷や、恥ずかしいほどの失敗や悲しみみたいなものが目の前にあって、苦しい。苦しいけど、その傷や日向のような幸福の時間から離れらない。そんな言葉なんです。もう気づいているんじゃないでしょうか。この人また解説していない……。

 

正直お題屋五天王の前に解説など不要……感があるんですよね(このブログの意味は?)

 

特にこうさんのお題は読めばわかるんですよ。読んだら分かる。あなたの人生のいくつかのなかに、こうさんが創ったお題の「その時」があるから、それがもう解説なんですよ。あなたの記憶はわたしのものとは違うから、語れば語るほど蛇足になってしまうなって思っています。……言いわけじゃないですよ?

わたしの苛烈さでお前を破壊する
Your words poor and no point and empty and never cut me. #is_2019

これはわたしがこうさんに以前つくって頂いたお題。上編から今回の下編まで、基本皆さんが見られないお題は基本的に載せない、という名目の元取り上げて来たんですが、このお題はこうさんが現在制作中のお題本にも収録予定とのことなので、こっそり記載させていただきました。読んだだけで自分のことだ……と思ってしまう。いえ、わたしのことなんですけど……(これは自慢です)。

 

突然の自分語りになってしまうんですけど、大学で映画を作っていた時、本当に心が折れかけていて、すんごくしんどい時間があって。そんななか、飲み会で酷い言葉を浴びせられた時があり、超絶腹が立って、大の男の人相手に喧嘩したことがあったんですが、あまりに言われたことが悔しくて大泣きして帰って。もう無理なんじゃないか、頑張れないんじゃないかって折れかけの心が更にバラバラになりそうだった時。こうさんがDMで送ってくれたお題でした。

 

この言葉を見て、まだやれる、って思ったんです。死んでしまいたいくらいなんていうと、いやいや……って感じだけど、その時のわたしには切実で、どうしようもないくらいの絶望を――心を包んでいた鈍い煙を、こうさんの言葉が払ってくれたんですよ。

 

それからしばらく、お題を記した紙を手帳の間に入れて持ち歩いていました。こうさんの言葉を身にまとっていると、不思議と重たく感じる玄関の扉を勢いよく開けることが出来たし、最悪なことを言われた人にばったり会っても「おつかれさまです」って笑顔で言えた。

だって"Your words poor and no point and empty and never cut me." あんたの言葉の少しだって、わたしを傷つけることなんてできやしないんだから。

 

わたしにとってこうさんの言葉は、こういう言い方はあんまりよくないなと思うけれど、まぎれもなく「救い」で「護り」です。いつだってわたしの人生に立ち返れる、立ち返ろうと思えるひかり。星とは、こうさんの持つ言葉の魂なんだろう。

 

最後は自分語りになってしまいました。どうしても、こうさんの言葉を詳しく話そうとすると、自分の記憶の話になってしまう。だから言ったじゃないですか!(話したのはお前)

……恥ずかしいんですが、きっとこうさんは「それもふゆゆだよ」って笑ってくれると思うから、記しておこう。

 

インスタントカフェ/なりきりブラックホール

お題屋五天王の西ことインスタントカフェ・望月色さん。お題界では「イカ」の愛称で愛されるしきさんです。……え? なんでイカなのかって?「ンスタントフェ」だからです(※公式確認済)。

東にNORZさん、西にしきさんにしたのは、このふたりが良い意味で同じ世界で生きて言葉を綴っている(当たり前のことなんですけど、同ジャンルって感じなんです)ように思ったからです。

しきさんとNORZさんもツイッターで話されていて、このブログを書いている最中だったので、思わずニヤニヤしてしまいました。

さぁ真実よ姿を現せ
335 なりきりブラックホール
336 水色互助組合
337 赤くなって他人の振り
338 透明に緑を撒く
339 そこに私はいなかった
340 白黒の雰囲気
341 傷跡地
342 エンドロールに息を潜めて
343 よくある話よくない話
344 熱源のない世界
345 宇宙にさらわれる
346 今だけのこと
―― 「週刊イカリング」より「さぁ真実よ姿を現せ」一部抜粋

週刊イカリング|インスタントカフェ

これってどういう意味なんだろう、どんなお話を想定しているんだろう? と想像力を掻き立てるところがNORZさんと似ていませんか?

でも、それでいてNORZさんとしきさんは正反対の位置にいるとも思うんです。東のエデンで百貨店を営むNORZさんに対し、しきさんは西の日が落ちる黄昏時に百鬼夜行をしているような違いがあるんですよ。

 

太陽が昇る前・直前の薄暗闇でオアシスのどまんなか、煌々とひかる不思議な照明をつかった百貨店を営むNORZさん。対するしきさんは、日が落ちる寸前の、燃えるようで夜の匂いがする夕暮れに、踊る様に言葉たちと行列を作り歩き回る。縦横無尽に、行き先の定まらない祭りを永久にやり続けているような、別個の茶目っ気を纏って遊んでいる。

NORZさんは摩訶不思議な商品を売ってくれる一方、しきさんは通りがかったにんげんに、見たことのない"お菓子"をくれるんですよね。きっと。

259 波紋デザイナー
260 そういう周期
261 つまりエフェクトの問題だった
262 もっと別の名なら
263 どっちも嫌だからどっちでもいい
264 満ちるまで駆ける
265 他人の嘘を辿る糸
266 スポットライトVS黒子
267 どうするの
268 うまく喋れない
269 昼寝最高
270 本編のない夢
271 1巻に戻る
272 心変わりではないの
273 彼女の彼

―― 「週刊イカリング」より「鏡と仮面の舞踏会」一部抜粋

週刊イカリング|インスタントカフェ

しきさんの言葉には、凄く良い意味でルールが無い。無限の自由の中で、理解も共感も飛び越えたところで、言葉そのものの「おもしろさ」だけで勝負する方。

 

「昼寝最高」、そうだよね最高だよね!? と思いつつ、えっ一体なにがあったんだ……!? と二度見してしまう。

「スポットライトVS黒子」……そんな貞子vs伽椰子みたいな……いや、一体なにが!?

 

と一体なにが……と想像を膨らましている中で「本編のない夢」のようなお題で気持ちがぐらぐらと揺れるんですよね。突然現実に戻るような。

しきさんのお題はいつも少しさみしい、切ない気持ちになる。黄昏時の夜行は楽しい。妖も魔法使いもまものも化け物も皆踊れ、みたいな世界は楽しい。でも、夏祭りの時にふと、暗闇に浮かぶ屋台の間を徘徊するひとびとの隙間を見つけた時みたいな、突然の寂しさが、顔をのぞかせる。

298 宝石ごっこ
299 目印にはならない星
300 彼があなたを変えてしまった
301 いちばんを選べる人
302 呼びたい

―― 「週刊イカリング」より「死神が死んだ日」一部抜粋

週刊イカリング|インスタントカフェ

ものすごくさみしくないですか。宝石「ごっこ」。宝石もどきたちの、宝石ではない、けれども宝石を真似たおままごとという感じがする。

 目印にはならない星――も、「なれない」じゃなくて「ならない」だから切ない。

 

なれない、という悲壮もそれはそれで苦しいけれど「ならない」と決めた、選択による「目印」からの離脱のほうが切ないんですよね。個という境界がはっきりしていて、自分が何処にいるか立ち位置をしっかり理解している。だから、目印には「ならない」

半分諦めで、半分は解放なんですよ。「なれない」という悲しみと諦めは「なりたかった」という絶対的な絶望がある。だから、切なくはならない。切ないってあくまで俯瞰なんですよ。その場にいて、その場で苦しみを感じたり、悲しみに脅かされている人間が使う言葉ではない。

「ならない」は圧倒的に俯瞰で、すべてが決定した後に発生している。全部分かったうえで「ならない」と決めている。決めたから、分かたれていて切なくなるんです。何もかもを見通したうえで、すでにもう離れた場所からの「ならないよ」だから、切ない。悲しいとは違う。

 

しきさんの言葉は自由。自由で、縛られなくて、縛れなくて、どこまでも好きなように飛んでいく。捕まらない。それは、しきさんの言葉が何処までも独立していて客観だから為せる業。言葉に含まれた圧倒的な「他者」が、しきさんのお題を切なくしているんだろうな、と思います。

 類まれなる言葉の夜行をご覧になりたい方は、是非インスタントカフェへ。

 

OL/灰と藍の想い10のお題

2shin.net

ラストはお題屋五天王・南担当の掌さん

セットお題といえばOLというほど、掌さんはいろんなテーマでセットのお題を創っているお題屋です。とにかく物凄い量のセットお題の宝庫で、セット自体も「シチュエーション」や「単語」など様々。自分の小説や絵で取り上げたいモチーフから、掌さんのセットお題を探すのも良いかもしれません。

 

「北」のこうさんと反対の「南」の位置に属する掌さん。掌さんが何故南か、というと、澄み切った冬を彷彿とさせるこうさんに反し、掌さんはあたたかな南国のイメージがあるからです。ビビッドな魚が泳ぐ瑠璃色の海。おだやかであたたかく、けれども激しさを忘れない風。みずみずしい果実。そういった甘さとスパイスのあるお題が生息するお題サイトなんです。

また、掌さんはよく「夏」をテーマに企画をしていて、サイトにも幾つも夏の企画跡が残っています。

つのる夏の日 / 夏の日の最期に /  ナツノヒデンパ
夏の日はさみしい /  このはなつのひ / 今日は夏の日の前日
夏の日だと嘘ついた / 夏の日のようなほほ笑みでした

掌さんと言えば夏! 夏と言えばあついところ! あついところっていったら南でしょ! みたいな決め方をしたわけではないですよ……?

 

さきほど「セットお題といえばOL!」という話をしましたが、理由は何も数だけではもちろんありません。セットお題自体のクオリティの高さにあります。

鳥のように不自由なひこうき
ただひとりの理解者?
「底意を見るな」
甘つけば数種は黙る
今日まで眺めつづけた孤影
局部を好く
疑い真似の平和
君だって飛べる、鉛のビルから
魚の骸
得て失う平等

―― 灰と藍の想い10のお題より

灰と藍の想い10のお題|OL

掌さんのお題は劇場のようだな、と思います。知るひとぞ知る、雰囲気のある小劇場で上映される作品。映画だったり、劇だったり、人形劇だったり、はじまるお話は様々。足元からシーンにあわせて風が吹くときもあるし、後ろの扉から役者が通路を歩いてきて、舞台へ躍り出る時もある。時には観客さえも役者になって、見知らぬだれかを演じることも。

観客席も作品のひとつになった劇なんですよね。語られる言葉は役者たちの声であり、観客の感性であり、映画で見えた景色であり、動物、音、劇中歌、字幕……。そうして、きっちり決められた話数で完結する。最後のお題は必ず余韻を残し、静かに幕が下り、ゆったりとオレンジのライトが客席に降り注ぐ。さあみなさん、気を付けてお帰りくださいね――といった具合に。ものすごく完成された激情で、まとめ上げられた物語という感じがします。

空気という毒
シュプレヒコール
水底学区
蛍光塗料まみれ
手錠とリボン
回遊社
硫酸の生簀
乾いた冷たい氷の上はさみしい
いつか歩行する
盛夏眠夏
白い腹を見せていた

―― 魚11のお題

魚11のお題|OL

明確なプロットに沿って作られたお題かのように、11個に描くべきドラマがちりばめられている感じがして良い。

「水底学区」「盛夏眠夏」が対になっている感じもすごく好きで、どちらも水底に沈んだ閉塞しながらねむりつづける密やかさがある言葉。

 

掌さんの言葉はものすごく映像的で「乾いた冷たい氷の上はさみしい」とか特に、夏の日にコップにいれた氷のようじゃないですか。飲み物を入れる前の、ぱりぱりと音を立てる氷。けれども溶けない。時間が止まっているから。冷たい氷の上はかさついていて、ふれると張り付いて、痛い。注がれる飲み物がなく、けれども溶けはしないその一瞬の切りとりのように思える。冷え切った心の、触れたら自分も他人も傷つけるようなその瞬間の繊細さを、映像的に表現しているお題のように感じられて、息をのむような緊張が走る。

 

そして次のお題で「いつか歩行する」。止まっていた時間が動き出す。すこしほっとして、けれども冷たかったあの時の感情を想う。いまはまだ疲弊しきって動けない。体温で緩やかに氷の表面が濡れて、わたしもあなたも傷つけないその時まで纏う。「またいつか」の「いつか」。遊泳はできないけれど、歩行なら出来るから。もう少し待っていて、という感情の流れが見える。

 

掌さんのお題は一見繋がっていないように見えて、きっちり奥底に流れるものが繋がっている。何が繋がっているのか。「感情」です。感情が繋がっている。わたしは映画も小説も漫画もなにもかも、作品の根幹を糸のように繋げているのは、描き方こそあれ感情だと思っていて、そしてそれは、読み手ともつながる唯一の手段のようにも考えていて。掌さんは小説を書く方なんですけど、彼女の小説にも明確にその糸がある。感情の線を、掌さんは絶対に見失わないし、手放さない。読者の持っている糸さえも。

 

だからここまで、繋がった、まとまりのあるお題を創れるのだろうなあと思いますし、お題ごとに様々な劇を繰り広げられるのだろうなとも思います。根っからの創作者なんだろうな。

 

あなたの持っているモチーフをさらに広げて、喜怒哀楽のある起承転結を失わない"なにか"を作りたいのなら、OLという劇場へ訪れることをおすすめします。きっとあなたの求める作品が上映されているはずだから。

 

第一回・藤波の「このお題がスゴい!」

 第一回とか言ってるけど次回がなさそうな(そういうことを言うな!)藤波の「このお題スゴい!」をご覧頂きありがとうございました。上編・中編・下編あわせて一体何万字なんでしょうか。多分四万字はゆうに越えている気がします。なにやってんだお前は……。

 

お題を知らない方・お題が好きな方・創作をするみなさんにむけて、ラフに読める読み物を創ろう! と思ったのに、全然簡単な気持ちで読めない文字数の厄介オタクの分析ブログが出来上がってしまい、若干自分に引いています。

 

とはいえ、わたし自身もいろんな考えの元ブログを書いたので、記しておきます。(自分のツイッターからの転載です)

ブログを書いた理由に お題という作品媒体がもっと広がってほしいということ そしてお題を「自己解釈」して作品をつくる"合作"による「創作」が広がってほしいという意図があります。合作するさいに皆なんらかの解釈をしたり、自分の作品にお題を「付与」するわけで……それによって生まれる味変のようなものをわたしは愛しているし「えっ……このお題でこんな小説(あるいはほか媒体)を……!?」っていう新鮮な驚きをいつも楽しみにしてるんですよね。あと、単純にお題という作品事態の良さを 紹介したかったっていう。感想を言いやすい土壌を作りたかったというのもあります。

 お題の感想って 作品への感想よりも 「解釈」や「見えた景色」での想いのやり取りになるから、言いにくいって人がいそうだなぁと思っていて ただお題はそもそも そういう「余地」の文学であるから大丈夫ですよ、というのを 少しでも伝えられたらと思います。
ただ「余地の文学だよ、だから言おうぜ!」っていったって じゃあどう言えばいいんだよ!と思うし、誘うときに何するか言わない人 普通に怖いじゃないですか。なので、手本というには烏滸がましく、自分の楽しさで書いてしまったところもあるのですが 感想と解釈をしてみた次第です。

自分でもうまくまとめられたな~と思ったんですが、盛大に誤字ってたので書き直して記事に掲載するという(恥)。一応世界の片隅でライターをやっているのに恥ずかしいです……まあこれは仕事の記事ではないので(言い訳)と思いつつ、あまりに分かりやすいものはね、直して掲載するのが筋だと思うので……! 

 

創作者のみなさんに「合作」の面白さを知ってもらうのはもちろん、この記事を読んでくださった方に、目でも心でも楽しめる「お題」という文学が少しでも伝われば、これほどうれしいことはないなあと思っています。

 

欲を言うなら「お題」という変わったコンテンツを発信する、新たな「お題屋」さんが生まれるのを願って。長々と読んでくださり、本当にありがとうございました!

 

最後に

  1. 記事内のお題や作品ページのURL、該当お題屋さんの他サイト・ツイートなどは、各々に許可を頂き掲載させていただいています。ブログ記事から引用してのお題の使用はおやめください。それぞれリンクを載せておりますので、クリックしていただき、それぞれのサイトさんの規約に乗っ取った使用をお願いします。お題でない創作物などは、決して転載しないようお願いいたします。
  2. 此処までの解釈・考察などは藤波透子独自の見解です。お題サイトさんの思想・制作過程などとは全く異なりますので、ご了承いただければと思います。
  3. この記事はお題サイト様からの要望があった場合、また投稿主(藤波)の気分により、予告なく削除・編集いたします。無断転載などはお控えくださいませ。

 ……毎度のアナウンスになりますが一応!

 

NORZさん、悧子さん、こうさん、しきさん、掌さん。そして、上編~中編のみなさん、記事を書かせてくださりありがとうございました!

これからも皆さんのお題を楽しみにしています。藤波透子でした~! またね~!

*1:ユーモア。ちなみにこの"おかしみ"という言葉をNORZさんに充てていたのは悧子さん(afaik)です。まさに、と思ったために引用させていただいています。

*2:ひとつお題を決め、そのお題の頭文字を使ってシリーズお題を創ること。頭文字は漢字のママの場合、ひらがなに崩す場合など様々。

第一回・藤波の「このお題がスゴい!(中)」_210818

はじめましての方も、こんばんはの方もこんにちは。藤波透子です!

先日 "第一回・藤波の「このお題がスゴい!(上)」_210817"を投稿させていただきました。

chilly.hatenablog.jp

 

上編は

を紹介させていただきました。マオさん、蜷川さん、桜月さん、水氷さん、Rさん、ありがとうございました~!

 

上編では「そもそもお題ってなに?」という部分も紹介しているので、もし「お題ってなんだろう……」という方は、(上)から読んでいただけたら嬉しいです。ただ、愛が溢れすぎて1万字以上あるのでお時間のある時にでもどうぞ。

 

藤波の「このお題がスゴい!(中)」

今回の 藤波の「このお題がスゴい!(中)」では

のお題を紹介していきたいと思います!

 

栗城さんとmadoriさんの解説が物凄く膨大になってしまったんですが「回文お題・回文」についてや「視覚的お題」について触れている&おふたりがわたしに自由に語っていいよとより制限を広くもって、語ることを「良し」としてくださっている方なので(※他のお題屋さんが「ダメだよ!」といったわけではなく、普段からいいよといってくださってるので、語りやすいという話です)さらにフリーに話をさせていただいています。

 

前回より少し(少しか?)ボリューミーになってしまったので、お時間のある時に読んでいただけたらと思います。よろしくお願いします!

 

 

 rendezvous/英雄と影

お題界の鬼才・栗城さんの経営するrendezvous(邂逅)。

http://dfct404.xrie.biz/?guid=on

わたしが大好きなのは「英雄と影」シリーズ。とりあえず、細かい説明は後にしてとりあえず見てください(え?)

※以下、親しみを込めて「栗城さん」が「栗城」呼びになっているところもあるのですが、個人的に栗城よびをOKにしていただいているので、大目に見て頂けたら嬉しいです。

いまや腐りゆく庭園
十重に呪え倖い
枯れた葉の無厄を記し
徴しを悔やむのは誰か
祝いさえ炉の贄
永遠にくゆり咲く病

―― 英雄と影

永遠にくゆり咲く病|rendezvous

 

 何が起きてるか分かりますか? 

 

勿論、このお題がすべて美しい・魅惑の表現に溢れたお題セットであるのは言わずもがななんですが、これ「回文」なんです。

いまやくさりゆくにわ

とえにのろえさいわい

かれたはのむやくをしるし

しるしをくやむのはたれか

いわいさえろのにえ

とわにくゆりさくやまい

回文ってそもそも何?

回文とは、簡単に言うなら「上から読んでも下から読んでも同じ文」のこと。「私負けましたわ」とか「Madam, I'm Adam.」とかは聞き覚えがある人もいるかもしれません。

 

回文は、どの国の言語でも存在するものらしいんですけど(調べていて初めて知ったんですが、そりゃそうだよなとも思いつつ)、わたしたちに馴染みがあるのは今あげたくらいの長さクオリティの文章じゃないでしょうか。

 

勿論それが悪い! という話ではなく、パッと見た時に「文学」というよりも「新聞紙」「トマト」「竹藪焼けた」とか、言葉遊びの延長……の印象が強くて、その文章自体の美しさよりも面白さが優先されているように感じますし、それが何処かで正しいとも思っていたので、回文に関してそもそも「美しい」という概念を持ったことが無かったんですよね、わたしは。

 

けれど、栗城さんの回文に出会って「ああ回文って文学なんだ。面白いと美しいは両立させられるし、言葉遊びの延長で芸術ってやれるんだ」と思ったんです。いやそりゃそうだろ! って話かもしれないんですけど、「文学」としての回文に出会ったことが無かったわたしにとって(浅学だったというのもあるんですが……)物凄い衝撃だったので……。

のちに、回文が文学として広がりつつあり、回文作家と呼ばれる方々も居らっしゃるのを知りました。それも、栗城の回文を読んで、"短い歌"のようにも感じられる、不思議でどこかあやしい(もちろん良い意味で)文学をもっと知りたいと思って、調べるようになり出会ったという経由があります。回文についてもっと知りたい! という方は是非「現代詩手帖」の6月号で回文が取り上げられているので、読んでみてください。

 

栗城さんの回文はわたしにとって、常に新鮮な感動とおそろしさを与えてくれる作品です。この「おそろしさ」の意味については、後述します

 

 栗城さんは普段から回文を創ってブログサイトに載せているのですが、

https://rndzvsz.tumblr.com/post/647637103632678912/045-%E5%98%98%E3%81%95%E3%81%88%E3%82%82%E6%B0%B8%E4%B9%85%E3%81%AE%E5%90%9B%E3%82%88-%E6%95%85%E6%84%8F%E3%81%8B%E5%90%A6%E3%81%8B%E3%81%A8%E9%BB%99%E3%82%8B%E8%83%8C-%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%BF%E3%82%92%E5%BC%B7%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AA-%E5%B9%BE%E5%BA%A6%E3%81%A8%E6%82%94%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%82%92-%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%8B%E7%B7%8B

rndzvsz.tumblr.com

 注)此方のサイトは栗城さんの「創作サイト」で、此処に掲載されている回文・文章は配布物ではありません。許可なく無断転載・使用などはせず、もしどうしても使いたいなどあれば、必ず事前に栗城さんに相談してください。当方が許可を頂き、引用している「英雄と影」はサイトで「お題」として配布されている言葉ですので、創作に使用したい場合、栗城さんのサイトの規約を熟読の上ルールを守って引用してくださいね。

 

掲載されている作品、そのどれもが文学になっている。モノによっては「文字数」を揃え、声に出して楽しいのは勿論「視覚的美しさ」にも拘っていて、唸ってしまう。栗城さんの凄いところは、普通「文字数揃えよう」とかそもそも回文自体の「上から読んでも下から読んでも同じにする」がもう最大の「縛り」なんですけど……

 

縛れば縛るほど精度が上がるんですよね

 

週刊少年〇ャンプ主人公の相棒・ちょい曲者キャラか!?(しかも人気投票で3位くらいに君臨している子) というくらい、栗城さんは難しいものに挑戦すればするほど、出来上がった作品がものすっごく面白くなっていくんですよね。本人もイキイキ作ってらっしゃるのを感じるし、勢いと輝きに満ちている。いったいどういうことなんだ……?

 

栗城さんのお題・回文・回文お題が好きな理由のひとつに、彼女が根っからのエンターテイナーであることがあります。栗城さんはいつも新しい表現に挑戦しようとしているし、観る人が楽しめるものを作ろうとしている。

 

小説や絵、映画やいろんな作品に通ずるところですが、やっぱり「読者を楽しませようとしてくれる」「切り捨てない」作り手の創るものは安心して楽しめるし、シンプルに面白いんですよ。純粋にコンテンツとして享受できるのは、読み手が「面白い」と思えるように努力して工夫して、作者がすべてを表現に落とし込んでくれているからで……。

 

「いや作品なんだから当たり前じゃん……?」っていうひともいるかもしれませんが、それってなにより誠意だと"わたしは"思うので、栗城さんのそういう作品制作の姿勢、そして実際に面白いものを作ってしまえる才能・力量に惚れ惚れしますし、好きだなあとしみじみ思います。

 

 実を言うと「英雄と影」のシリーズお題は、わたしが個人的に「英雄と影をテーマにつくってくれませんか?」とお願いして作って頂いたものなんです。

 

詳しい説明はせず、ただ「英雄と影」という言葉だけでお題を考えて頂いたときに、わたしのリクエストに沿った・かつ上から読んでも下から読んでも同じ回文を作ってくれたんですよね。 またしばってる……と思いながら、その「お題」としてのひとつひとつの完成度の高さ、そして回文として「つながったもの」としても存在している、言葉の魔力にうっとりしました。

 

「回文お題」だから、「回文」と「お題」として成立していなければならない。けれどもそれをクリアしたうえで、両方のクオリティを保つ。いや、こわいよ……と思いませんか。わたしは思います。先ほども「こわい」というワードを使ったのですが、その感覚について、詳しく説明したいと思います。

 

「こわい」というと、物凄く悪い意味に捉えられてしまうかもしれないですが「こわい」と言っても「だから見たくない」とか「気持ち悪い」みたいな意味では全くなくて、言葉で表すなら、「畏敬*1の念」というニュアンスが一番近いです。

なかなかこの言葉を導き出せず、勝手に自分の中で苦悩していたのですが……ものすごく神聖なものに出会った時の、身動きが取れないほどの感動と激情に満たされるような感覚。栗城さんの研ぎ澄まされた鉱石(しかも、ただの石ではなくて賢者の石のような特別なもの)のような言葉の前で、ただ「すごい」という感想だけに身体が侵食されていく。「すごい」は感動でもあるし、何よりもリスペクト、「敬い」の感情でした。

 

わたしには絶対に作れないものが目の前にあって、それを作り出せる創り手への敬愛。敬意。尊敬。そして完成された、密に創りこまれた言葉への畏怖。湯水のように湧き上がるすべての想いの混ざり合い。わたしにとって栗城さんのお題・回文・回文お題は「畏敬の念」を抱かずにいられない作品です。

 

ここまで思わず回文に纏わるものものばかりをとりあげてしまった上に「おまえ、分析してなくね……?」となって来たので……。

 

ここで一旦お題に戻ります(やっと?)

え 炎色なきスティグマ ま
に にせの神は語るまじ じ
し 心臓に飾るための花 な
は 灰と百合のわずらい い

―― ぼくの切り分けた幻想譚より「えにしはまじない」

Standing alone at the edge of the sphere.

「Standing alone at the edge of the sphere.(ぼくを切り分けた幻想譚)」より「えにしはまじない」の四つ。栗城さん曰く「えにしはまじない」という言葉は水氷さん(※上編参照)のツイートから連想し、四題を制作したとのことです。

 

それにしたって「えにしは」と「まじない」でサンドイッチにするという発想は出ないのだが……! またしばってる……! と思いつつ。ものすごく魅力的なあやしいお題たちで、すごくすきなお題セットです。

 

個人的にわたしは、栗城の使う「まじない」が凄く好きで(実際のところ栗城がどう考えているかという所は別として)明快に「魔法」と「まじない」を別に捉えていて、その言葉が持つあやしみや幻想を秤にのせ、適切に使い分けているように思うんですよね。

 

魔法は……これはわたしがファンタジー好きだからというのもあるかもしれませんが、どちらかというとポップな印象や、特別な人だけに与えられた特権、不可能を可能にする術のような、ひかりの要素が強い。

一方で「呪い(まじない)」は「のろい」とも読み取れるし、禍々しい、禁忌のような印象があります。まじないも魔法も、通常ではありえないことを叶える不思議な手段であるのに、印象がこうも違うのは面白いなと思うのですが……「魔法」ではなくあくまで「呪い」を選んだ時点で、何処となくこのセットのお題にあやしさや薄暗さを感じる。

 

だ・け・ど!!

 

そこで栗城さんがその反対側に置く、サンドイッチのパンとパン、もう一個の「パン」に選んだのが「縁」

 

縁って、これも人それぞれの感覚と言われればそうなんですけど、ポジティブなニュアンスがありませんか? ええっ呪いの印象と真逆だ……となる。

 

縁の反対側には「呪い」がいて、しかもそれは「は」という「=(イコール)」に置き換えられる言葉で繋がれている。つまりこのお題の中で 縁=(イコール)呪い なんですよね。当たり前のことをいってるんですけど……。それを全て踏まえた時に、わたしがこの4つのお題を解釈したらどうなるか、書いていきたいと思います。

  1. 炎色なきスティグマ …… 抑圧により認識・偏見に雁字搦めになっている者
  2. にせの神は語るまじ …… 1に対し、神さまはなにも語らない。何も言わない
  3. 心臓に飾るための花 …… 胸に咲く花、心臓を一突きされて致命傷を負った者
  4. 灰と百合のわずらい …… 3が灰になって初めて縁から解放される1。

詳しく話していくと、この4つのお題には2人登場人物がいるのではないか? と思って、それは「えにし」が3までで終わった後、「は(頭文字)」が4に残ったときに、「灰と百合のわずらい」になるから。

つまり、「灰」になったものと「百合」になれたものが居るのかな? とおもったからです。

 

百合は1にあたる者で、4で灰になった者(縁という言葉から連想すると、簡単に想像するなら親だとか、親族のようなものを想像する)のせいで、様々な抑圧や思想の押し付けで歪んでいる、或いは不自由な状態にある。

1は神さまに救いを求めるけれど、神は答えない。神は"にせ"であるから、救いではなく沈黙を選ぶ。

 

追い詰められた1は、抑圧の原因であった縁(人間)を刺す。1が殺されたわけではないと想像したのは心臓に「飾るため」の花だから。

客観の視点にいる者だけが、目の前にある存在を「別のもの」に例えられると考えました。自分の胸に赤い血が広がっている時、その人は主観で血を見ているのに「花」とはなかなか認識しないだろうな……と思って。俯瞰から見ているから「花」に例える余裕と冷めた目があるのかな、と。

 

そして4。「は」から始まるお題。

ここで「縁」はおわった、切れたとわたしは解釈しました。だから、1は死んだひとを弔い灰にする。1を抑圧していた縁から解放されたときにはじめて百合になる(百合の花言葉は「純粋」)。自由で無垢な1になれたところで、呪い(まじない)が終わるというお題なのかな……と捉えました。

 

栗城さんはお題の説明ツイートをけっこうされているので、わたしの解釈と全然違う……! というのは大いにあり得る(というか9割そう)だとは思うのですが、それはそれとして……ここまでメチャクチャ語ってることから分かる通り、わたし、栗城さんのお題や作品を自己解釈するのが大好きなんですよね……。

 

前回(上)で、好きなものに出会った時、語りたいときと一人で噛みしめたいときがある……という話をしたんですが、栗城さんの作品は圧倒的後者です。

永遠に話してられる……。何時もこうして、なかば暴走気味に解釈や感想を綴るわたしを「良し」としてくれる栗城さん、本当にありがとうございます。

 

彼女のお題は作りこまれているからこそ、自己解釈して考えたくなる魅力があるし、考えれば考えるほど良い意味での「分からない」があって、その"分からない"に作品を埋めたくなってしまう良さがあります。

サイトだけでなく、彼女のツイッターにも珠玉のことばが溢れているので、是非チェックしてみてください。

 

アラスカ/dormancy

 唯一無二の啓示・アラスカのmadoriちゃん。

madoriちゃんとは個人的にすごく付き合いで、弊サイトのデザインなどを良く作って頂いたり、連載のタイトルを創って頂いたり……いつもお世話になっています。

 

尊敬するお題屋であり、大切な友人でもあるmadoriちゃんの作る作品は、まさに「総合芸術」と言っていい、栗城さんとはまた違った細部に至るまでのこだわりと、創り込みを感じるものばかりです。

xwv.moo.jp

正直madoriちゃんのお題は、誰にも良さを紹介したくないほどに特別というか、小さい頃に家族から貰ったくまのぬいぐるみのような……そういった、容易く人に触れられたくない愛着哀愁記憶みたいなものなので(いや勝手にお題を私物化するな! ってかんじなんですけど笑)本当は教えたくない……でも見てほしい……そのためらいを感じながら紹介していきます(どっちだよ)

 

はっきり言って全部大好きなんですが、madoriちゃんの凄い所は「大好き」を更新し続けてくれるところなんですよね。

 

今、わたしが彼女のお題で最も好きなのは最新である「dormancy」シリーズなんですけど……。

xwv.moo.jp

 

その前に好きだったのは、「ああ君が最果ての燎原」

xwv.moo.jp

 常に「最新コンテンツ」がわたしにとって「一番好きなmadoriちゃんのお題」になり続けてるんですよね。それって(もちろんわたしと趣味趣向が合致している・波長が合うというのはあるかもしれないけれど)madoriちゃんが常に進化していて、より良いお題を作り続けているからだと思うんですよ。

 

madoriちゃんは作品づくりを絶対に妥協しない。リンク先を覗いていただければ分かると思うんですが、とにかく「お題・ページデザイン・掲載順番・表示の仕方」すべてが完成されてるし、計算しつくされている。

 

以前ツイッターのスペースで

「デザインとかすべてを含めての勝負じゃないとお題を公開できない」

と言っていて

ツイッターとかでお題を流さないのはフォントデザインやページデザイン、色とか背景とかそういったものを抜きにして勝負が出来ないところがあるんですよね。技量的に」

とも話していたんだけれど(※どちらも原文ママではないです)

 

勿論madoriちゃんが「そう思っている」といるのを否定するつもりはないんですが、わたしはデザインで「も」勝負することが「言葉だけで勝てないから」だとは思えなくて。

 

madoriちゃんは「自分の言葉が最も意図通りにうつくしく相手に伝わる方法を模索してる」だけだと思うんですよね。言葉だけで勝負できないのではなく、言葉で戦う時に、最も自分が輝ける土壌を作り上げる力を持っている。根っからの「表現者」なんだとおもいます。

 

先ほど栗城のことを「エンターテイナー」と称したんですけど、madoriちゃんもそうだとわたしは思っています。大学時代映画を学んでいたので、つい映画作りに例えるくせがあるんですが、映画作りでいうと、脚本担当だから脚本書いてオシマイ、じゃなくて、madoriちゃんは監督・演出、撮影・照明、録音・音響、制作、役者まで全部ひとりでやってのけてるんですよね。それがmadoriちゃんにとって「作品を創る」ってことなんだと思います。

 

どれかひとつでも怠ったら、納得のいく作品にはならない。だから全部妥協しないし、全部やり遂げる。どこまでも「創る」ということに(本当に良い意味で)プライドが高いひとだし、「楽しませる」「評価を貰う」ということに貪欲なひとだなと思って、同じ創作者として、そしてファンとして憧れるし大好きなんですよね。

  天国瓦礫
  dormancy
忘却の外側で
 貴き平行線
  詩的球体

―― dormancyより一部抜粋

dormancy - alaska

いまのわたし(2021年08月19日の藤波透子)がdormancyで最も印象的なお題5つを挙げました。出来る限りURL先の言葉の並びの形に添って掲載してみましたが、ブログデザインの都合上どうしても崩れてしまうのが悔しい……。

 

これは他のお題サイトさんのお題を引用している時もそうなんですが、あくまで紹介のために掲載しているだけで、本来の言葉の良さを一番良い形で見て頂けるのは(当たり前のことですが)それぞれのサイトのページでなので……!

すぐ下にURLを貼っておりますので、是非URL先で見て頂けたらなと思ってます。

 

dormancyの凄いところは、その言葉の美しさも去ることながら、お題の形。言葉に形ってなんだよ……って思うかもしれないんですけど、ページを通してみて頂けると分かる通り「音の波」或いは「心電図」みたいに見えませんか……?

そしてこの文字による作図が、更にmadoriちゃんのお題の世界観を作り上げているように思えます。

 

madoriちゃんや栗城さんを中心に、こういった「視覚的に美しいお題」が流行り出したとわたしは認識しています。一時期(というか今も)お題屋さんの間で「文字揃え」を始めとした、「文字による作図」が流行り、視覚的にも楽しめるお題が増えたように思います。

 

 視覚的に美しいお題と言われてもピンと来ないかもしれませんが、

 例えば……

  1. 文字数を調節することにより四角やダイヤ型、三角など様々な図形を描く

    xwv.moo.jp

  2. 文字数を一文字ずつ意図的に減らし、階段にする。

また明日のエチュード
あなたのための欠落
さよならララバイ
月まで届かない
孤独の結び目
硬骨を悼む
夢みる街
replay
残響

―― あなたのための欠落(栗城)より一部抜粋

あなたのための欠落 | rendezvous

 なんとなくわかっていただけたでしょうか。でもこういうお題を見た時に、作画の都合上「単語」だけがぽつんと描かれるときがあって、「あなたのための欠落」であれば「幻」、「dormancy」においては「dormancy」……果たして単語ってお題なのかな? と思いませんか。実は個人的に、ずっと考えていたんです。

 

やっぱりお題は「何か」と「何か」が繋がれたもので、最低でも三文字くらいなければ意味のあるフレーズにはならないのでは、と考えていた時期がありました。

 

勿論それは他のお題屋さんへの攻撃・否定ではなく、個人的に単語は単語でしかないのでは……と思っていて。上手く理解したいなと思い、階段お題を1度作ったことがあるんですが、結局「三文字以下は無理だ!」と最低段を三文字にして諦めたんですよね。「お題」じゃなくてどうしても単語としか思えなかったので……。

 

でも、先日のスペースでmadoriちゃんが

単語はお題じゃないんじゃないかという意見もあると思うんですけど、自分にとっては前後含めて意味ある単語で、前後がある以上、セットお題の一部である以上それは誰もが使ってる単語とは意味の違うものになるんじゃないかと思って使ってます

という話(※原文ママではないです)をしていて、凄く納得したんですよね。

 

たしかに、dormancyは辞書で引いたときの「休眠」だとか「休息」という意味ではなくて、それは勿論前提としてありながらも「天国瓦礫」「忘却の外側で」の間にあることで、えいえんのねむりのようなすべてを失くすみたいな死にほど近い眠りを連想させる。更にこのセットお題のタイトルにもなっているので、すべてのお題を通して、隔たれていくこと、わかたれていくこと、失っていく全部の「埋葬」のようにも感じられるようになる。

 

いやこれ狙ってやってるなら天才すぎるな、と思う。間違いなく計算してやっているので、天才なんですけど……。

 

dormancyシリーズは最初その波形や、一番最初に表示される点線の円から、声かな、心音かなと思ったんですけど、dormancyだから睡眠脳波……いや……と思考し続けて、結果すべてのお題と「dormancy」というセットタイトルの混ざり合いや循環を想った時に至ったのは、信号周波数かもしれないなって。

 

お題には「わたし」と「あなた」がいて、その間に漂う波がある。分かり合うための信号を互いに送り合っていて、それが高鳴っては収束して、また高鳴る。そうやって相互的に、けれども互いに「一方的に」話している感じ。「あなた」は「わたし」を「君」と呼んでいて、どちらも終わりを見ながら、ただひとりごとのように信号を送っている。

 

一番波が大きくなったところのお題、盛り上がりの一片が

その夜に失くしたものばかり集めている

感情が高鳴っているドラマのまんなかではなくて、過ぎ去ったもののあと、散らばって粉々になったものを拾うその空しい作業にしているのが、にくい。

 

ヒートアップしている時って、悲しみも喜びも怒りも、それ以外の激情すべて「今わたしは一番興奮してるな」とは分からないじゃないですか。爆発が収束して初めて、あのときわたしはものすごく感情を燃やしていた、或いは孤独に震えてばらばらになりそうだったと気づく。

 

madoriちゃんは明確にそれが分かってるんですよね。だから、「わたし」や「君」が相手へ放っている信号が、最も強くなる瞬間を「消失」の後に持ってくる。ひどいよ……と思う。ひどいよ……そんなの、あんまりだよ……と崩れ落ちてしまう。

ここにきて気づくんですよ。読み手で或るわたしの"盛り上がり"も今この瞬間がピークだという事に。

 

すみません、もう一度言っていいですか? これ狙ってやってるなら天才すぎるんですけど……。はい、間違いなく計算してやっているので、天才なんですけど……。

 

そして、この時と同じくらいの盛り上がりがやって来るラスト。

ついにあなたは祈り方を教えなかった

 

はあ…………………………。

 

もうため息しか出ないよ……。ついにあなたは祈り方を教えなかった。ついには「終に」と書くわけで、これが一番最後のお題であるのと相まって「終わり」という表現になってる。にくい……にくい……(呻き声)

 

「dormancy」はわたしを置いて眠るあなたであり、あなたを失ったわたしの永遠の凍てつき、やはり永久の停滞という意味での"休眠"なんだろうと思わせる。

そして眠りゆくあなたへわたしがしたかったことは、掬い上げる事でもおやすみのキスをすることでも、揺り動かして起こすことでもなくて「祈り」だったという構造。

 

何処までもああ、ひとりなんだなと思うんですよね。このふたりにとっての愛のような"なにか"は常に、相手との相互関係ではなく、ただ自分の想いを電子信号として海へ流す行為でしかない、"ひとりごと"なんだろうな、と思う。

 

これは余談というか完全な深読みかもしれないんですけど、思わず文字数を数えたんです。

「ついにあなたは祈り方を教えなかった」は17文字。「その夜に失くしたものばかり集めている」は18文字

何を失って17文字になったのかなと思った時に、もしかして「君」なんじゃないか……? と思ったんですよね。

 

わたしはずっと 

  • 一人称「わたし」/二人称「あなた」
  • 一人称「?」/二人称「君」

だと認識してたんですけど

 

もしかして

  • 一人称「     」/二人称「あなた」
  • 一人称「わたし」/二人称「君」

だったのでは……と思って。居なくなったのは「わたし」だったんじゃないか、と。

 

もしそうなんだとしたら、このお題の対である感じに納得がいく。

逆行/海はわたしの身体となって

逆光/あなたの影に芽生えるのは 

 此処は互いの信号のすれ違いみたいな構造なのに、ひとりの子が言っている気がして、ううん……? となっていたんですが、わたしが自分で勝手にミスリードしていたのかも。

「わたし」と言っている子が「君」呼びで「あなた」と言っている子が別に存在するのであれば、これはきっちり対になった信号になる。うん、こっちのほうがしっくりくるな……。

 

最後のは完全に深読みの匂いがするんですけど(笑)

でも、madoriちゃんのお題は栗城と同じように、物凄く考えたくなるし噛み砕いて深く知りたくなるお題なんですよね……。デザイン・言葉・文字、総合芸術で成り立つ唯一無二のお題だなと思います。

 

ひとつの美術館のような完成されたスペースに訪れたいひとは、是非アラスカへ。

 

夜にたねまき/冬にするためのオレンジ・メソッド

美術館という言葉から連想すると「夜にたねまき」こと月白さんのお題が思い浮かぶ。彼女のお題は油絵みたいだから。

nanos.jp

丁寧に丁寧に塗り重ねて、時折ナイフで傷つけてその下の絵の具を眺めながら、また覆うように、隠すように、塗り替えるみたく言葉を紡ぐ。そうやって編まれた丹念な言葉は鋭い魔法のようにひかって、此方を睨みつけてくる。フクロウの瞳のような洗練さで。

 

わたしが月白さんのお題で一番好きなのは

冬にするためのオレンジ・メソッド

―― 獣が星になれる終末より

獣が星になれる終末 | ナノ 

「冬になるための」でもなく「冬が来るための」でもなく「冬にするための」。冬は通常自然と至るもので、時間は唯一(今のところ)人間が介入できないものというか、どう足掻いても、未来には普通の進度でしかすすめないし、過去には戻れない。

だけど、それをすべて取っ払って「冬にする」。冬にするってどういう事かなって思った時に、物凄く切実なメッセージを感じるというか、何が何でも冬へ辿り着いてみせる、みたいな必死さがみえる気がするんですよ。それを「ための」が更に強める。

 

「冬にする」だけで不可能を可能にしたい野望めいた何かを感じるのに、そこに「ための」がやってくる。どうしても冬が欲しい。冬でなくてはならない。その欲望と悲願。本来、願いにするにはあまりに強すぎる念望と繋がるのは「オレンジ・メソッド」。

叶えてくれる神さまではなく、あくまでその願いを叶える手段が提示される。なんて優しくないんだろうと思う。運命めいたものの残酷さだとか、神さまのようなものの冷たさを感じながらも、でもだからこそ、どうしようもなくその場に立っている人間に思いを馳せてしまう。

 

月白さんのお題はいつも、神さまだったり物語における第三者の視点、"誰か"の視点で描かれている。"描き手"がはっきりしているんですよね。それは勿論月白さんで、月白さんのお題はすべて、月白さんという神視点によって描かれた文学なんだよなあとしみじみ思います。単語の使い方。繋ぎ方。見えている景色。描く感情――すべてが他者への月白さんからの視点で、物凄く良い意味で客観なんですよね。

 

だから、どのお題もテーマやセットにきっちり沿いながらも、絶対に月白さんの色を失わない。

 

画家は様々な絵を描くけれど、何となくその人の「持ち味」ははっきりしていて、全然別の場所の、まったく異なるものを描いたとしてもその人の絵だと分かる。そういう個性を持っている。月白さんはその個性が物凄く強いなと感じます。

 

決して似たようなお題を創っているというような意味合いではなく、自分という個性を確立しながらいろんなお題を描いているし、絶対に自分を見失わない、己としてすべてを描き切っているのが素敵だという話。

 

たぶん、様々な言葉に紛れていても、月白さんのお題は見つけ出せると思う。それだけ、はっきりとした"個"があるお題なんです。

 

さらに面白いな、と思うのはそこまで絵柄が安定していて個性が確立しているのに、決してお題は使いにくくない、むしろ使いやすいところなんですよね。

体温だけがきみの宇宙になれたらいいのに
かるがるしく絶望を使うなよ
楽園の名がはらむ濁音
どこにも往けない獣性 
結び目をほどいていいから永遠などになるな

―― 楽園の名がはらむ濁音より抜粋

牙持つエフェメラル | ナノ

 

物凄くお話が浮かびませんか……?

 

「獣が星になれる終末」「楽園の名がはらむ濁音」もどちらもキャラクターお題なんですけど、キャラクターを知っているひとにはなるほどな…………としみじみ苦しくなるお題だし、キャラを知らないひともさまざまな物語に投影しやすい、想像力を掻き立てる言葉たちになってるなと思います。

 

楽園の名がはらむ濁音のなかだったら「結び目をほどいていいから永遠などになるな」がスッゴくすきで「結び目をほどいていいよ」と「永遠になどなるな」だけだったら、此処まで多分好きになれない、胸にせまる鮮烈な痛みと輝きを得られなかっただろうと思うんですけど、本当にこういう絶妙な装飾が上手いんですよね、月白さん……。

 

結び目をほどいていい「から」永遠になどになるな。

でもこれ、ちょっと結び目はできればほどいてほしくない、本当は繋がっていたいという悲しみがいるんですよ。それがせつないんですよね。

 

本当は結び目をほどいてほしくないし、永遠にもなってほしくない。でも、永遠になるくらいなら仕方ない、結び目をほどいていいよ。そういう、限りある「捨てられないもの・捨ててほしくないもの」を守るために、手前にあるものを捨てる勇気とあきらめを持てるというお題。いや、もうドラマじゃん。一本出来てるじゃん、小説。

 

あと「永遠になどなるな」がいいんですよね。「永遠になるな」じゃないんですよ、「永遠になどなるな」。「など」に含まれる、永遠以外の"何か"の余地が好きで、本当は永遠以外に相応しい言葉があって、でもそれを上手く言えないから(或いは明言したくないから)「永遠など」。永遠と例えておこうという意味にわたしは受け取ったんですよね。いちいち切ないんですよ。迷いと葛藤がたった20文字に凝縮されている。20文字あれば人は1個ドラマを描けてしまうんだなと思わせられる。

 

ついにきみを春と呼べる可能性がないとき

―― 楽園の名がはらむ濁音より抜粋

牙持つエフェメラル | ナノ

 

もう……………………ドラマじゃん……。

madoriちゃんのお題もそうですけど「ついに」って言葉、ずるすぎる。「終に」でもう終わりがあるんですよ明確に。それなのに月白さんは「可能性がないとき」で追い打ちをかけるんですよね。はっきりと「おしまい」を描く。救いの余地を許さない。ひどいよ……ひどいよ……とむせび泣きながら、地面に額を付け「好きです」と言わざるを得ない。そういうことです(どういうこと?)

 

※8/20追記

この記事の校正作業をしている時に月白さんが更新されていたので、以前からあったセットお題を改稿したものである「本をめくる手つきで殺してくれよ」についても書かせてください。このセット、すべて好きなんですけど、特に好きなのがこちら。

おまえの知る孤独ではないだろうけど

―― 本をめくる手つきで殺してくれよより一部抜粋

本をめくる手つきで殺してくれよ|夜にたねまき

やっぱり、月白さんの装飾の仕方、ほんっとに絶妙なんですよね……。


「おまえの知る孤独ではないだろうけど」、「おまえの知る孤独」とか「孤独ではないだろうけど」だけでは、たぶんすきにならないというか、これはわたしの趣味趣向かもしれないんですけど、ここまで印象に残らないと思うんです。「おまえの知る孤独ではないだろうけど」だから好きだと思えるし、心と頭に残るんですよね。

 

特に「だろう」が「かもしれない」じゃないところが好きなんです。

かもしれない、はほとんど推測で確信がない事柄。「だろう」はほとんどそうだと分かっているけれど、確信には至っていないから少し濁した表現。このさじ加減が美しいと思うし、たったこれだけでやっぱりドラマが描けているんですよ。天才の所業だと思う。

 

さらに言うなら「けど」がずるい。「孤独ではないだろう"けど"」。柔らかく話しているようにも見えるし、少し諭しているようにも感じられる。たしなめるような慈愛。やっぱり、ドラマなんだよな……(それしか言えないの?)

 

月白さんは小説も書かれる方なので(気持ちが"オワった"ので急に話を変える)短いフレーズで物語やドラマを描くのが抜群に上手いというのもあるのかもしれないな~と思いながら。

はっきりとした油絵の具で描かれた、濃厚な一枚絵を眺めている気持ちでいつもお題を眺めています。

 

あとこれは他のお題屋にも言えることなんですけど……月白さんの持っている語彙が多すぎる。どうやったら、こんなに適切な単語や表現を言葉の海からひっぱりあげられるんだろう? シンプルに凄すぎる。

 全然記事には関係ない話題ですが、先日ツイッターで月白さんの愛読書が公開されていてウキウキしたわたしです。読んだことない本は全部買うものリストに入れました。絶対全部読もう。そうしたら月白さんと同じくらい……は無理でも、今より少し語彙力を身に着けられるはず!(そう簡単にはいくか)

 

さあ、わたしの戯言はさておき(は?)

鮮やかなドラマティックの中で、選び抜かれた絵の具を使って濃厚な物語を描きたいのなら、絶対に月白さんのサイトへ向かってください。

あなたの知らない魅惑のパレットが必ず見つかるはずです。

 

 シンガロン(ひとりでうたう)/星明かりを求めるならばまず骨を陽に

逢坂いちるさんこと逢坂さんが奏でる言葉は、すべて詩であり"うた"だなあと思います。

栗城・madoriちゃん・月白さんはそれぞれ、RPGのジョブで言うなら黒魔導士・僧侶(蘇生魔術使用可能)・赤魔導士だな……と思うんですけど、いちるさんはそれでいうと、吟遊詩人だなあって。

twitter.com

現在お題サイト・シンガロンはサーバーが落ちてしまったままならしく、逢坂さんのお題が見られるのはツイッターBOTのみになってます。サーバー……頼む、早く回復してくれ……!

 

個人的に逢坂さんに創って頂いたお題がたくさんあり(ありがとうございます……!)どれも大好きなんですけど、皆さんが見られる・借りられるお題でないと紹介の意味がないな……! と思うので、今回は上記ツイッターBOTから幾つかお題を紹介したいなと思います。

 

星明かりを求めるならばまず骨を陽に

 

正直全部いいねを押してますし大好きなんですけど、その中でも一等こちらのお題が好きです。

 

星明かりを求めるならばまず背を陽に。なんて綺麗でやさしいフレーズなんだろう。声に出して読みたい清らかさと、世界中のあたたかで小さなひかりだけを大切に集めて、ぎゅっとカンテラにつめたみたいな言葉。繊細で、とにかく穏やかな熱。ずっと見ていられるな、聞いていたいな、と思います。

 

逢坂さんの言葉の良さは「どんな時でも触れたい」と思えるそのやさしさにあると思っていて「やさしい」は「易しい」ではもちろんなくて、棘がないという意味。

 

疲れ切っていても、かなしいときでも、どんな時だって逢坂さんのお題は読める。むしろ、読みたいなと思えるんですよね。多分逢坂さんの言葉には押し付けがましさだとか、不必要な棘とか、目に痛い鮮やかさとか、そういう暴力のにおいがないからなんだと思います。

 

言葉ってすごく簡単に暴力になれるモノじゃないですか。誰かに何かを伝えたり、理解してもらいたいだとか、自分のことを伝えたい……反対に分かりたいと思った時のコミュニケーション手段であるはずなのに――いや、だからこそかな。だからこそ、自分の気持ちだけで言葉を紡いでしまって、相手を深く傷つけたり、悲しませる時がある。

 

勿論その逆もあるんだけれど、本当に疲弊しきってる時って、そういう"救い"みたいなものが押し付けがましく感じたり、うんざりしてしまうほど追い詰められてたりするじゃないですか。例えそのひと・言葉・もの自体に悪意が無かったとしても。

 

「寄り添いますよ」と言われても、助けてくれるわけじゃないじゃないと振り払いたくなったり、逆に無責任に「頑張って」と言われてもむなしくなったり。遠く離れられてもさみしくて。そういう、心がもうすでに傷つく準備をしてしまってるときってあって。自分でも自分が面倒で嫌だけど、脱却できないぬかるみで落ち込んでいるときってあるよなあって。

 

そんな時、不用意に触れるのでも、煩わしい言葉をかけるのでもなくただ、落ち着く静寂をつくってくれる、窓の外、降り積もる雪みたいに"ただ居る"。ただ"流れてくれる"遠いけれど、決して遠すぎない場所から漂ってくる、美しい歌のような存在なんですよね。逢坂さんの言葉は。

 

やっぱりどこかで作品って人格から切り離せないものだと思って。人格というか哲学というか、そのひとの持っている感覚や思想と、どう頑張ってもバラバラにはできない。

 

多くの表現技法によって、ぼや~っとさせたり、違う色に塗ってみたりはできるけど、元の形ってそう簡単には弄れないし、上手いこと箱に入れたり、コンクリートでかためてみても叩き割れば根本に居るわけで。分かるひとには分かってしまう。だから怖いし、けれども面白いなとわたしは思っていて。

 

逢坂さんの生み出す言葉がやさしいのは、逢坂さん自身が、自分の想いを他人に押し付ける人じゃないひとだからだろうなあと思うんですよね。

もちろん、何の努力もなく得たというか、最初から逢坂さんが優しい人間として生まれたから、此処までやさしいんだ~! っていう無責任なニュアンスではなくて(勿論気質的な穏やかさは根っこにあるとは思うんですが)逢坂さん自身が誰も傷つけないように、決めつけないように……と努力した果てに得た、やさしさだと思っています。

 

ここまでくると逢坂さんが好きなのか、作品が好きなのか……境界があいまいになってくるんですけど、はっきり言って、どっちもなんだと思います。

逢坂さんのお人柄も好きだし、作品も好き。どっちが先とかどっちが後とかなくて、それは並列だろうなと思います。わたしのなかでは。

 

月は遠い、花は甘い、石は明るい、ゆえに形容できない  

白緑の雨に打たれて泣く河は夜の爪から船に飛び乗る

ゆっくりと煮込んで笑って焦らしてくれる

 

 やさしい……やさしくてあたたかくて、切なくて苦しい。人の心のやわらかいところで生み出された言葉たちだなとひしひし感じる。

 

月は遠い、花は甘い、石は明るい。

この三つで、さみしいけれど穏やかでうつくしい夜を連想させる。大きな月は、近いようでずっと遠く、辺りには花がたくさん咲いていて、甘い香りが漂う。 月の光に照らされた庭石は、浮かび上がる様にぼうっと白くひかっている。……明るい。完璧な情景を描いた後「ゆえに形容できない」に至る。

 

ゆえに、は「こういうわけだから」という意味。

こんなにすべてが揃ったうつくしい夜だから、「形容」はいらないよね、そのままできれいだよ、なのか。

それとも、あまりに完璧すぎて、わたしの言葉では形容できないよ、なのか。

 

どっちでも切なくて、切ないのに満たされていて……さっきからおんなじ言葉ばっか繰り返してるけど、語彙がないのか……? 透子……おまえ……。

 

だって「あたたかいさみしさ」って言葉が、こんなに合うお題を創るの、逢坂さんしかいないんだもの。仕方ない。何度だって言いたいんだよ。切ないけどやさしい。かなしいけどうつくしい。あたたかくて、触れていたい。だけど苦しい。

そうやってマイナスもプラスもない逢坂さんの歌のなかで、同じ想いをずっと感じてたいんですよ。

 

段々言葉が浮かばなくなってきた(言葉屋じゃなかったのか)……もうとにかくただ言いたいのは、好きだということです。

サイトがなくなってしまって、逢坂さん自身ショックだと思うのですが、ひとりでうたうファンとしても悲しいので、早くサーバーが復活してくれることを願っていますし、逢坂さんの言葉がまとめて読める日を、こっそり楽しみにしています。

 

もう文字数の話はやめましょう。

前回生き残ってくださった方々も、今回は流石に藤波の長すぎる話でギブアップしてしまったんじゃなかろうか……。スミマセン。

とはいえ、次回の(下)で最終回なので! 許していただけたらなと思っています。

(下)の記事では

のお題をピックアップし、分析・感想を綴っていきたいと思います。

お楽しみに~~!

 

最後に

  1. 記事内のお題や作品ページのURL、該当お題屋さんの他サイト・ツイートなどは、各々に許可を頂き掲載させていただいています。ブログ記事から引用してのお題の使用はおやめください。それぞれリンクを載せておりますので、クリックしていただき、それぞれのサイトさんの規約に乗っ取った使用をお願いします。お題でない創作物などは、決して転載しないようお願いいたします。
  2. 此処までの解釈・考察などは藤波透子独自の見解です。お題サイトさんの思想・制作過程などとは全く異なりますので、ご了承いただければと思います。
  3. この記事はお題サイト様からの要望があった場合、また投稿主(藤波)の気分により、予告なく削除・編集いたします。無断転載などはお控えくださいませ。

 ……そんなの書かなくても分かってるぞ! と思うと思うのですが、一応!

 

栗城さん、madoriさん、月白さん、逢坂さん、記事を書かせてくださりありがとうございました!

これからも皆さんの創作活動を、陰ながら応援しております~!

*1:畏れて敬う思いのこと。「畏れ」とは主に神さまや自分よりも遥かに力のあるものへの、尊敬の伴ったこわいという気持ちのこと。

第一回・藤波の「このお題がスゴい!(上)」_210817

はじめましての人も、お久しぶりですの方も、こんにちは。藤波透子です。

今日はわたしが中学生の頃から大好きな「お題」について語りたいなと思い、おもむろに文章を書いています。わたしの創作人生はお題からはじまったといっても過言ではないくらい、わたしは「お題」という文学に惚れ込んで生きていて、詳しい説明は省きますが(え?)、中学生の頃は大好きなお題サイトさんのお題を数十枚印刷して学校に持ち込み、授業中に眺めてはため息をつくほどのお題マニアでした。勉強をしようね。

 

今は自分でもお題サイトを経営して、世界の片隅で配布していたりもするんですが、わたしの根っこはお題を眺める・お題を分析する・お題を借りて作品を作るのがメインの「観客」です。

 

なので、今日は「そもそも、お題って何?」「二次創作界隈だけで流行ってるもの……?」など、「お題」の存在を知らないよって方、そして「いやガンガン知ってるし、めっちゃ好き。詳しく聞かせて」っていうお題マニアの方向けに、お題ってなんぞや……みたいなところから、幾つかのお題サイトさん(※以下、親しみを込め界隈での呼び方である「お題屋」と表記させていただきます)をピックアップし、おススメお題とお題解説を交えながら紹介していきたいと思います。

 

……とか、堅苦しくいってみたけど、要は「お題ってサイコー!」っていうのを皆さんと共有出来たら嬉しいな~と思ってます。よろしくお願いします!

 

 

そもそもお題って何?

 近年「お題」の定義も少しずつ変わってきているとは思うのですが、簡単に言うなら作品の「タイトル」のことです。小説、音楽、絵、映画、ドラマ……多くの作品にはタイトルがありますよね。

今宵月が見えずとも ―― ポルノグラフィティ

 とか、

猫を抱いて象と泳ぐ ―― 小川洋子(文春文庫)

 など、上げたらきりがないくらい、魅力的なタイトルが世の中には溢れていて、わたしたちはそのどれかしらに触れながら生きていると思います。

 

 「お題」というのは、基本的にはこのような「作品のタイトルになるようなもの」のことで、それでいてタイトルのみでも完成されているようなフレーズ、を広義で「お題」と名付けています。

 

 勿論この限りではなく、お題サイトさんによってはそうでない、後者の「タイトルとしての完成」や「デザインと一体化した文学」「文字のアート」として完成させているサイトさんもあるのですが、多くのお題サイトさんは小説・音楽・絵・映画・ドラマ……などの「作品タイトル」になるものをお題として配布しており、そのお題を使って作品を作るのを推奨しています。

 

 二次創作界隈の方々で「お題サイト」を知っている方が多いのは、お題を使って小説などの作品を創っている方々が多いからかも。逆に、一次創作界隈ではそこまで見かけないように感じますね。わたしが知らないだけかもしれませんが……!

 

文章界隈で流行しているイメージが強い「お題」ですが、絵作品もたまに見かけますね。タイトルは大抵のもの(作品)に付けられるものなので、どんな媒体にも一定数の需要がある様に思います。

 

https://sorato0801.tumblr.com/post/652685694336155648/%E3%83%9E%E3%82%AA%E3%81%95%E3%82%93-httpgirlfemjpism-%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%8C-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A0%E7%93%B6%E3%81%AE%E8%93%8B%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%A7%E8%B8%8A%E3%82%8B-%E3%82%92%E3%81%8A

tmblr.co

 お題サイトさんの多くは「わたしが考えたタイトルを自由に使って、あなたの創作に役立ててください」というスタンスを取っています。ですが、あくまで「合作」というニュアンスなので、多くのサイトさんは著作権を放棄していませんし、サイトさんによっては使用報告・サイトへのリンク・著作権明記を必須にしている場合があります。

 

お題サイトは個人管理しているところが多いので、規約も様々。「お借りしたいな~」と思った時は、インフォメーションページや、規約ページをご確認くださいね。

 

藤波の「このお題がスゴい!」

 先日こんなツイートをしたら……。

 多くのお題屋さんから「いいね!」(って今は言わないのか……)を頂いたので、藤波の藤波による「このお題屋のお題がスゴい!2021」を勝手にやりたいと思います。みなさんもご存知のあのサイトや、大好きなこのサイト、えっ詳しく知らなかったけどすっごく良い……なそんなサイトの最高お題を独断と偏見で分析・紹介していきます。

 

各お題への感想・分析藤波透子独自の解釈ですので、引用元お題屋さんの意図とは一切関係ございません。特別に許可を頂き「好きに話していいよ!」といってもらっているので、各お題屋さんに迷惑のかかる行為などはおやめいただけたらと思います。

 

実際の所どんなこと考えて作ったんですか……!? と言うのは、個人的にもスッゴく気になるので、各お題屋さんが質問を募集されている場合、すっ……とマシュマロやお題箱などから送ってみてください。そして藤波にも教えてください。違っても、合っててもどっちでも美味しいので。

 

前置きが長くなってしまいましたが、はじめていきます。

 

alkalism・オーロラ片/evil adoration

言わずと知れたお題界の重鎮・alkalism。管理人はマオさん。

girl.fem.jp

「簡易版」とは名ばかりの「オーロラ片」もあります。

auroralfin.amebaownd.com

お題サイトを知るひとならだれもが一度は訪れたことがあるサイトではないでしょうか。わたしがお題にドハマりしたのは、alkalismさんの「せい」であり「おかげ」です。

正直全部好きと言うくらいに大好きなお題しかないのですが、その中でも最も好きなのがevil adoration「呪詛」というシリーズ。呪詛ですよ、呪詛。すでに好きでしょ……。

girl.fem.jp

お題にシリーズって何? と思うかもしれませんが、お題屋さんの多くは「シリーズお題」を作っていて、「呪詛」というワードからマオさんは18題の連想お題を制作してます。

十の指から滲み出たい
鎌首擡げる血の管が
目と耳以外にお前はいない
かつての棲み処も春は来ますか
喰らえどお前になれはしないし
肚に降り積もる雲英を名に持つ
私に永遠を患わせたのに
おまえの捨てた枕木を背骨に
眠る間だけ化けていた
何を重ねても鬼
細胞ひとつまで幻獣
海のほかに溺れるもの
ばらやひとみじゃ美しすぎる
美しいのは賤蔑だけにして
背に羽など見ていると思うの
「美しい」が辞書にいない
業だったら来世まで持って行けた
わたし以外の災厄など許さない

―― evil adoration

alkalism 2005.4.11-

 「分析する」「語りたい」と言っといてなんなんですが、正直alkalismを表現する言葉が浮かばないんですよね。もう何十年と、マオさんの作るお題の美しさと完璧さについて考えているんですけど、全く言葉が浮かばない。言葉屋*1として恥ずべきこととは思いつつも、何か言葉を付け足して喋るのがすべて蛇足のように感じる。それだけ、マオさんのお題は完成されていて、他者の入る隙間がない。あいだがないのに、物語は浮かぶのだからさらに難解すぎて手に負えない(もちろん良い意味で)。

 

evil adorationの制作秘話をこっそ~り聞いたときに、

「alkalismはキラキラしたお題を創るサイトと思われたくなかった」

「ジャンルやテイストを限定されない・しないお題サイトになりたくて」

と言っていて、なるほどなと思いました。

確かにマオさんのお題は、美しくひかりに溢れたお題が多い。

憂うつの透明度
明星甘露
きみがくれた呼吸が発光している
こんぺいとうが擬態している木漏れ日
月を裂いたら結んであげる
魔法使いが感染ったみたい
また今日が愛を連れてきてしまう

―― null cube(より一部抜粋)

null cube | オーロラ片

流れ星が空を横切る瞬間のような、口の中でチョコレートがとろけるあの時みたいな甘さと特別感。逃したくないひとときみたいな言葉だと感じます。それはnull cubeにも、それとは全く違うevil adorationにも通じていて、それは決して味が単調だとか、得意な場所でずっと戦っているという意味ではなく、あくまでそういう輝きを常に纏いながらも、全く違う場所で燃えているという感じ。だから、どのお題もマオさんの作品だとすぐに分かるし、真似しようとしてもできない。

 

さて、気づいているでしょうか……。気づいていない場合は此処からの数行をぶっ飛ばしてください(え?)わたしが「お題の分析」から逃げているという事に……。

 

そうなんです。無理なんです。語るべきところがない。分析できない。

マオさんが創ったお題がすべての説明というか、此処に揃っている言葉がすべてなんですよ。わたしの補足だとか解析だなんて不要なのでは……と思ってしまう。そういう力が、マオさんのお題にはあるんですよね。

 

もちろん、この後紹介するお題屋さんのお題が言語化できるほどの容易い感動である」といいたいわけではなくて、感動にも様々な種類があるじゃないですか。「良い!」を感じた時に、物凄く誰かと「良さ」を語り合いたいときと、近くのカフェで紅茶を飲みながら、静かに噛みしめたいときと……さっさと家に帰って布団にくるまって泣きたいとき。

 

マオさんのお題はわたしにとって、言葉に出来ない言いようのない淀みみたいなものを、ずっとかき混ぜていたい……そうやって自分と言葉の境界がなくなるくらいに沈んでいたいお題なんですよね。決して混ざり合わないとしっているからこそ、スプーンをさしいれるのをやめられない、そういう言葉なんです。

わたし以外の災厄など許さない

まさに、語弊を恐れずにいうのなら、alkalismのマオさんの言葉はわたしにとって「災厄」かもしれない。けれども、この美しさに浸っていられるのなら、呪いに掛かったままで良いと思えるのだから凄い。

 

皆さんも、唯一無二の輝きの中で窒息したいのなら、alkalismを訪れると良いと思います。幾億もの煌めきは惜しみなくあなたに降り注ぐだろうし、その炎で焼き尽くしてくれると思うので。

 

……と、かっこいい風のこと言って、まとめた感じにしよっと(台無し)

 

enamel/永久凍土の火の海

 マオさんと並び、お題界の大御所であるエナメル。管理人はニーナの愛称で親しまれている蜷川さん。

and.noor.jp

美しいサイトデザインと相まって浮かび上がる言葉たちは、雨のようにしなやかでやさしく、けれども僅かな刺激(ちくちく)をともなうものばかり。マオさんのサイトと並び、わたしも中学生くらいから書き手としてお世話になっているサイトさんで、幾つものお題をお借りし、物語を書かせていただいています。

 

蜷川さん・ニーナさんのお題は何よりものすごく使いやすい

お題を使っている創作サイトをめぐっていると、ほとんどといっていいほどのサイトがニーナさんのお題サイトへリンクを繋げている。分かるよ。メチャクチャ使いやすいもんね。

夜更けのブーケ
月と蛞蝓
さみしいとさみしいを束ねて
花の落つ速度
やわく潰れる胸のあいだ
春によるさざ波
信仰のにおい、羽化の引鉄
神様の什器
朝のまなざしの感光
絶え間なく抱えきれない花束は 萎れる前に手放さなくては

―― 夜更けのブーケ

夜更けのブーケ|2019.03.20 enamel 12th anniversary

ニーナさんのお題はいつも「顔の見えない誰か」が存在するなと思っていて、それが「使いやすさ」に繋がってるなと思います。顔の見えない誰かとの関係は、様々な「誰か」に代入できるし、そこから物語を描くことで「誰か」は「誰か」じゃなくなる。

 

お題として完成していながら、文学として存在しながらも、他者が介入する余地を与えてくれるお題で、ものすごく作りこまれた作品だなと感じます。

 

 そんなニーナさんのお題でわたしが一等すきなのは、

永久凍土の火の海

この言葉を見た時、なんてうつくしいんだろう、と思うと同時に、ものすごい「激情」を感じたんですね。目の前に広がる冷たい世界が、凍えるほど澄み切ってひえているのに、燃えている。その光景は鮮烈で、恐ろしささえ覚えるはずの視覚的暴力であるはずなのに、燃えている様を淡々と「海」と例える瞳。ものすごく冷めている。

自分の心が燃えているのを、俯瞰で眺めている冷静なひとを感じて、うつくしくて、うつくしくて、けれども物凄く怖いな、と思いました。

 

 ニーナさんは「火の海」という言葉を他のお題でも使っていて、

ひとりの火の海 つめたい肖像

そのときも、「つめたいもの」を並列においていた。

このお題も「ひとりの火の海」は感情の比喩、それを眺めている俯瞰の「つめたい肖像」がいる。ニーナさんにとって「感情」とは何処までも孤独なもので、交わらない、理解し合えない場所にあるかなしい炎なのだろうか、などと考えました。

 

そしてニーナさんは心を海に例えているのかなとも思って。今度は「海」でエナメルのお題を調べてみました。

溶けた氷が海になる
秋の夜更けが海になる

わたしの海で泳いでください

どっちも印象的な「海になる」というワード。溶けた氷、秋の夜更け……。どちらもやっぱり「心」や「感情」のような、パーソナルなものを連想するワードのように感じます。冷え切った心が解ける。秋の夜更けは物思いに耽ってしまう……。更に「わたしの海で泳いでください」でそれは更に明快になる。やっぱり心のなか、感情だったり、容易く人には触れさせられない神聖な場所・繊細なぶぶんが紐づけられる気がする。

 

そうなったときに、じゃあその「心の輪郭」というか、心が海なら、その境界はどういうふうに定義するのだろうと思った時に「砂浜」と「海辺」で調べてみる。

砂浜はひとつもヒットしなくて(意外でした!)「海辺」はふたつヒット。検索機能、大変助かります……。

月の海辺の哲学
海辺のタフタ

なるほど、哲学~~~~~!! と唸ってしまいました(勝手に)

 

心や感情の輪郭・境界ぶぶんにあるのが「思想」「哲学」なの、あまりに納得というか(勝手に2)そしてそれが、タフタ*2……装飾布なんだ、と思うと、うわ~~~となってしまいました。もちろんこの繋げ方はわたしが勝手にしているもので、ニーナさんの意図とは違うかもしれませんし、考え方とも齟齬っているかもしれませんが、それはそれとして、物凄く納得してしまい、ひとりで唸ってしまいました。良すぎる。

 

 ニーナさんのお題はとても視覚的で、お題を読んだ瞬間に景色がパッと見えるというか、写真のように広がるの、素敵だなあと思っています。写真は「色合いで温度を決められる芸術」だと(わたしは)思っているんですが、ニーナさんのお題に温度があるのは、写真っぽいからなのもあるのかもな……などと。

 

蜷川さんは写真と日記のサイトも経営されていて、その印象にわたしが引っ張られているのもあるかもしれませんが……!

 

https://nnmts.tumblr.com/post/186230902106

nnmts.tumblr.com

優しい景色の中で、確かにうしなっていくものだとか、満たされるけれどせつない"何か(誰か)"を感じながら、慈雨のような言葉にうたれたい方におススメのお題屋さんです。

 

Hinge/冬と永遠とが海になる

海といえば(無理やり繋げるな)桜月さんのサイト「Hinge」。彼女の作品はいつも、穏やかな潮のにおいがする。

lunar.chu.jp

桜月さんは小説も書かれる方なので「物語を感じるお題」を創るのが抜群に上手い印象があります。彼女の作るお題は、勿論サイトにある作品もどれもすてきなのですが、個人的に制作されているお題本……別格の"良さ"があるんですよ。

crescent-bouquet.booth.pm

装丁のクオリティの良さもさることながら(絶妙なざらざらとした肌触りの表紙で、革を思わせる素敵な質感です)とにかく、収録されているお題が素敵

 

ネタバレにならない程度に紹介すると、お題本に入る前に、ちょっとした「物語」が書かれているんです。不思議な本の世界へと入っていく二人の女の子のストーリーで、彼女らの歩く「旅路」として、次のページからお題が記されていく構造になっているんですよね。

ただお題として楽しむだけでなく「物語」として没入できる作品になっている。

お題は物語を限定しないもの、という固定概念を壊すような、「物語式お題」の最たるものが桜月さんのお題だなあと思います。

 

え、限定されてるの? じゃあ使いにくくない? と思うかもしれないですが、そうじゃないんですよ。ひとつのまとまりになって、繋がっているけれども、切り離しても存在できるのが桜月さんのお題のすごい所。だって、面白い物語って、ワンシーンを切り取っても面白いでしょう?

 

冊子の中で、最もわたしが好きなのは「冬と永遠とが海になる」という章のお題。

桜月さんの描く物語、そしてお題には、よく海が登場する。海は、ただそこに存在するだけで感情を掻き立てるし、そこに「ふたり」がいればなおさら、感情の揺らぎのようなものから必然的に目が逸らせなくなる。

 

桜月さんは以前、「自分のジャンルは何だと思いますか?」という質問に

「感情かな、感情をやっています」

というニュアンス(※この通りの文面ではないです)の返答をされていて、なるほど……と思ったんですよね。なるほど、だからか、と。

 

海って「感情」の象徴みたいな場所だから、否が応でもむきだしになっていくし、バラバラになっていくところだと思っていて……実を言うとわたしは海が物凄く苦手です。

 

海って存在するだけで強すぎるから、「死」や「破滅」や「激情」「むきだし」みたいな「印象」が、語るより先に突っ込んでくるし、どうしても安い「エモ」みたいなところに落とし込まれてしまう気がして警戒してしまう。

 

というか、少しだけ自分語りをさせてもらうと、制作した映画で一度明確に失敗してるので、余計に苦手意識が強まったんですよね……(苦笑)

でも、桜月さんはその「海」の強さをむしろ利用して、その一種の秩序の中で、自分のひかりを導き出せる人なんです。

あたえるのも過ぎ去るのも手のひらの発光体 

「冬と永遠とが海になる」からの引用。

「あたえるのも」「過ぎ去るのも」ここを並列に語れる凄さ。

あたえるときたら、失くすとくるのが多分ありがちな理屈で、「増える」と思った時に、人は「減る」ことをおもう訳で……だから正反対の言葉を置くのって容易いし、違和感なく繋げるものでもある。

でもここで、桜月さんは「過ぎ去る」を置く。過ぎ去るって「失くす」みたいなマイナスの表現でありながらも、「失くす」とはちがうんですよね。なかったことにはならない。ゼロにはならない。だから寂しい、っていう表現になってる。そして、ここで終わるんじゃなく、その耐えがたいほど、過ぎ去るのがむなしいほどの「それ」を「手のひら」に収まる「発光体」と表現する。

 

ひかりじゃない。蛍でも、星でもない、そうやって「何か」に断定することなく、けれどもたしかにひかっているものとして「発光体」と称する。上手い。上手すぎる……。

 

大嫌いな海のことを、桜月さんの言葉の中でだけは素直に、ただ綺麗だと思えます。 

たったの500円で運命が買えるので、是非「図書館にてよるときみを待つ」買ってください。そして、わたしと「(良すぎて)やばいよな……」って語ってください。勿論、サイトに掲載されているお題もどれも素敵ですよ!

 

しらない話/幸せな国の呪い5選

海から水につなげてみる、というのは冗談で「物語式お題」ときたので、「おはなしお題」である、水氷さんのお題をあげてみます。

お題界の愛すべきミネラルウォーターこと水氷さん。ツイッター「#しらない話」を付けて時折お題を投下しています。まさに水のように、形にとらわれないゆるやかなテイスト、そして感情と密接した言葉たちは見ていて飽きない魅力に満ちている。

わたしが好きなのは「幸せな国の呪い5選」のセットです。

 「幸せの国」ではなく、「幸せと国」でもなく「幸せな国の呪い」なのがまずセンスしかないな……としみじみ思ってしまう。幸せ「の」だと幸せのための国という感じがするし、「幸せと国の呪い」だと双方を比べるものにかんじる。けれども、水氷さんが選んだのは「幸せな国」。幸せでくるまれた国の、呪いに満ちた「しらない話」

 

「ならない」という語尾で揃えられた五つの決まりごとは、教えでもあり、忠告でもあり、どこか自分をあざ笑うような皮肉にも感じられて、その多面的な表情にものすごく「お話」を感じてしまう。けれどもこの中で、何となく種類が違うなと思うのがひとつだけあって。

敗者も等しく尊ばねばならない

これ、ちょっと他と違いませんか? 他のものは「してはいけないよ」というニュアンスが強くて、善意の言葉にも感じられるけれど「敗者も等しく尊ばねばならない」だけ、「尊びたくない」ニュアンスがあるように感じる。

 

他は「そうでなくてはならないよね、そうでしょう……?」という、あくまで受け手に対して授けている立場での言葉なのに「尊ばねばならないよ(それが嫌だとしても)」と、突然三つ目にして語り掛けてくる。そこに、人物の感情が少し見える気がして、どきりとする。けれどもまた、次のお題「恋愛は潔癖でなければならない」で、教えに戻っていくような……。

 

この、まんなかのひとつだけが持っている感情が、見せようと思って見せたわけではない、けれども見えてしまった心という感じがして、すごく好きです。呪いはあくまで自然発生で生まれるものではなくて「人がかけるもの」なのだと感じさせてくれる。

Help me in メッセージボトル
溺れるのだから孤独を選んだ
星から声を掛けてもらえない
ひとりで人の字を作り続ける

水氷さんのお題は、寂しいけど近い。いや、寂しいから近いのかもしれない。手の届かないものではなくて、苦しい場所にあるものではなくて、近いところにあるからこそ、届かないことがより残酷になるような、そういう繊細さに満ちていて、どこまでも一つ一つの言葉を大切にしたいと思うお題ばかり。本当にしみじみ、水が身体に吸収されていくようにゆっくりと「良いなあ」と思う言葉たち。

水氷さんのお題を眺めたあと、ねむりたい夜があります。

 

tragic/岩の戸、砕けぬ檻の安寧

物語、お話、ときたらRさん。Rさんのお題はわたしにとっては「唄」のように感じます。

http://marchexxx.xrie.biz/?guid=on

 

Rさんと言えば「物語の書き出し」も配布しているお題サイト。お題というところを飛び越えて、もっと作品の真に迫った表現を探して、つかみ取っている方だなあという印象があります。

お話の裏側で、膝を抱えてぶすくれてる彼女をなぐさめてあげてね、王子さま。

どうやって終わらせるかも知らない。いつから始まったのかもわからない気持ちは、きっと、寄り添うだけじゃ満たされなくなる時がやってくる。

この物語は、わたしの英雄のために。 

どれも物語の書き出しを想定したものでありながらも、でも何処か詩的で、唄のようで……この一文だけでも成立するようになっているのが凄い。テイストを限定しながらも、物語は限定されないし、書き手が文章を書き足すことによって「物語」として完成するようになっているのが凄いなと思います。究極のコラボレーションだなと。

 

わたしが特別好きなのは「岩の戸、砕けぬ檻の安寧(ニライカナイ)」シリーズ。

まずこのタイトルが既にクライマックスだし、歌い出しが始まってませんか?

 

岩の戸、砕けぬ檻の安寧。いったいどういうこと? 何が起こるんだろう? と想像力が掻き立てられる。突然始まった旋律に困惑する間もなく、次の言葉が襲い掛かってくる。畳みかけるように唄が紡がれていく。

岩の戸、砕けぬ檻の安寧


無明を照らす灯火は消え失せた。焦がれた理の証明には欠如したる道を敷け、深遠へ、根の国に至る岩の戸がしるべなり。

境界を隔てる流れ
未知なる真実の炎
誘われるまま乞われるまま
肌になじむ懊悩
降りしきれスターチス
敬虔なるしもべ・凛然たる騎士
「汝、誰かの幸いたれ」
振り解けぬ羅刹の手


死者に語る口はなく、懇願を聞き届ける耳もない。埋もれ土塊となるだけのものに、かつての名残りが見えるはずもなかった。

―― ニライカナイ

ニライカナイ|岩の戸、砕けぬ檻の安寧

 唄……まさに唄なんですよね……。声に出す詩なんですよ。時の流れや時間、ひとびとの生活や神話が、唄になって流れていく、紡がれていくような感じ。肉声の伴う物語よりももっと遠い詩。自分が生きていない、生まれていなかった頃の知らない時間のような、けれども触れたい歴史のような言葉たちで、その密やかさに心を奪われます。

振り解けぬ羅刹の手

いや、この言葉はどうやったら生まれるんですか……? 

振り解けぬ、振りほどけない、それはまだわかるんですけど(いやひねり出しても出てこないんですけど!)、そこから「羅刹」。魔物じゃなく、妖でもなく「羅刹」。絶対にわたしのなかからは出てこない。

 

此方を掴もうとしてくる恐ろしい存在をお題にするとして、その"恐ろしい存在"を咄嗟に羅刹に変換するそのハイセンスさ。そしてそんな化け物が追って来ていたら、わたしは覆いかぶさってくるようなイメージを抱くんですが、Rさんは「手」と表現する。つまり、自分の心に纏わりついている邪気だとか、よこしまな感情みたいなものの比喩として使ってるんだろうか……? などと、ものすごく考えさせられます。一筋縄ではいかない表現で、だからこそ面白い……。

 

 ……いや、でも最後「死者に語る口はない」といっているから、本物の羅刹に殺されてしまったんですかね、"誰か"は。分からない。分からないから気になるし、様々な解釈の元、自分の創作に落とし込みたくなってしまう。

 

濃密な言葉によって生み出された歴史の中で、あまりの密度に前後不覚になりながらも物語を編んでみたい人に(特に創作をする方に!)おススメのサイトです。

 

ちょっとまって、一万字超えてるんですけど……!?

14人のお題屋さんにいいねを頂いたのに、5人の時点で一万字ってどういうことなんだ……? というか此処まで読んでくださっている方、いますか? 

藤波の長すぎる話で半数がギブアップしている気がする。スミマセン。

本当は記事ひとつにすべてをまとめるつもりだったのですが、物凄いことになりそうなので、(上)(中)(下)に分けさせてもらい、ゆっくり紹介&自己解釈をしていきたいなと思います!

(中)の記事では

のお題をピックアップし、分析・感想を綴っていきたいと思います。

お楽しみに~~!(見てね)(見てください)

 

最後に

  1. 記事内のお題や作品ページのURL、お題を使った空斗さんの作品などは、各々に許可を頂き掲載させていただいています。ブログ記事から引用してのお題の使用はおやめください。それぞれリンクを載せておりますので、クリックしていただき、それぞれのサイトさんの規約に乗っ取った使用をお願いします。
  2. 此処までの解釈・考察などは藤波透子独自の見解です。お題サイトさんの思想・制作過程などとは全く異なりますので、ご了承いただければと思います。
  3. この記事はお題サイト様からの要望があった場合、また投稿主(藤波)の気分により、予告なく削除・編集いたします。無断転載などはお控えくださいませ。

 ……そんなの書かなくても分かってるぞ! と思うと思うのですが、一応!

 

マオさん、蜷川さん、桜月さん、水氷さん、Rさん、記事を書かせてくださりありがとうございました!

これからも皆さんの創作活動を、陰ながら応援しております。

*1:藤波は自分の職業を言葉の何でも屋として「言葉屋」と名乗ってます

*2:表面がすべすべしていて光沢のある絹織物の一種